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Jリーグ 7年前

岡山社長からJ専務理事へ。木村正明に燻り続けた「悔い」の正体、歩んできた激動の半生

text by 藤江直人 photo by Getty Images, Yasuhiro Suzuki, Naoto Fujie

1993年5月15日、国立競技場にて

 練習に参加する時間が取れない、という理由で体育会サッカー部への入部は諦めた。それでも2年生になると、練習回数が少ない準体育会サッカー部の一員としてボールを追った。ただ、胸中にくすぶっていたもやもやした思いは、1993年春の卒業まで晴れることはなかった。

 迎えた1993年5月15日。ゴールドマン・サックス証券に入社し、社会人としての第一歩を踏み出してから約1ヶ月半後に、木村氏にとって2度目のターニングポイントが訪れる。

 日本中の注目を集めたJリーグの開幕戦。かつて自分が足を運んだ旧国立競技場で見た読売クラブを前身とするヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と、ファンだった日産自動車サッカー部を前身とする横浜マリノス(現横浜F・マリノス)が、歴史的な戦いを繰り広げている。

 キックオフ前の開会セレモニーでは、旧国立競技場のピッチ上の空間をさまざまな色のレーザー光線が駆けめぐっていた。幻想的な雰囲気のなかで人気ロックバンド、TUBEのボーカル・前田亘輝が『君が代』を独唱し、ギタリスト・春畑道哉が公式テーマ曲『J’S THEME』を生演奏する。

 当時流行っていたチアホーンを吹き鳴らす、ファンやサポーターの頬は緑やトリコロールカラーのフェイスペインティングで彩られ、手首にはミサンガが巻かれている。そして、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏(現日本サッカー協会最高顧問)が笑顔で開会宣言を読みあげた。

「スポーツを愛する多くのファンの皆様に支えられまして、Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します。1993年5月15日、Jリーグの開会を宣言します」

 中学生からサッカーに携わってきたファミリーの一人として、魂が激しく揺さぶられ、心臓の鼓動がどんどん高鳴ってくるのを木村氏は感じずにはいられなかった。

「僕自身がサッカーをやっていて、ずっと『どうせ日本のサッカーは』というのが枕詞のようについてきたんですよ。だから、サッカーで飯が食えるようになる、スタジアムを満員にする、日本代表がワールドカップに出るという3つの目標を、Jリーグができてからあっという間に成し遂げたことは、やはり嬉しかったですよね」

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