16年ぶりに名古屋に帰還した山口素弘
「僕がいた頃に比べて、クラブハウスも練習環境も素晴らしいものになりましたね。名古屋の街並みもだいぶ変わり、懐かしい反面、隨分と時間が経ったことも実感します」
今年から名古屋グランパスのアカデミーダイレクターに就任した山口素弘に「16年ぶりに戻ってきた名古屋はいかがですか?」と尋ねると、こんな答えが帰ってきた。山口が名古屋でプレーしたのは1999年から2002年まで。その後、J2だったアルビレックス新潟に03年に移籍し、J1昇格に貢献。05年8月に横浜FCに期限付き移籍し(06年から完全移籍)、07年にJ1で現役を引退している。
そんな山口のプロフットボーラーの原点が、横浜フリューゲルスにあったことは、サッカーファンなら誰もが知るところであろう。91年、東海大学から前身の全日空横浜サッカークラブに入団。加茂周監督が押し進める「ゾーンプレス」の申し子として重用され、「ゲームが作れるボランチ」としてのプレースタイルを確立。95年からは日本代表の常連となり、97年の「ジョホールバルの歓喜」や98年のワールドカップ・フランス大会も経験している。
多くのサッカーファンにとって、山口素弘のイメージといえば、99年の元日にフリューゲルスの主将として天皇杯を掲げた姿であろう(この感動的なシーンは、天皇杯の歴史を振り返る映像の中で必ず登場する)。
そんな山口だが、「フリューゲルスへの想いが強い」と評される一方、「当時のことをあまり語りたがらない」という話もたびたび耳にしている。果たして、どちらが真実の山口なのだろうか。さっそく当人の言葉に耳を傾けることにしたい。