普通であること
イニエスタは凝ったフェイントなど仕掛けずに敵を抜いていく。敵の動きがわかるので必要ないからだ。ある意味、自分主導ではなく相手を利用してプレーしている。
「子供のころからずっとお前が一番だとか、完璧だとか、そういうことばかり言うのは逆効果だ。幸い僕の周囲の大人たちはもともと謙虚だった」(イニエスタ)
イニエスタの凄さは、その「普通さ」にあるのかもしれない。自分本位ではなく、サッカーには自分と味方と敵とボールが存在すること、その関係性を見失ってはならないこと、そんな普通さが徹底されているように感じる。
14~16歳までイニエスタのチームメートだった人のコメントに「イニエスタが一番優れていたわけではなかったが、彼が良かったのは普通だったこと」というものがある。その時点でイニエスタより才能に恵まれていた選手の1人はメンタルに、もう1人はパスポートに問題があったそうだ。イニエスタには何も問題がなく、家族との関係も良好なら練習もきちんとこなしていた。何かが特別だったというより「普通」に過ごせたことが大きかったのだという。
イニエスタが才能ある子供だったのは疑いの余地がないが、より重要なのは「勘違い」がなかったことなのだろう。人並み外れた能力があり高い評価を受ければ、自分は特別だと勘違いを起こす。勘違いしない人のほうが少ないのではないか。
自分が特別で最高だと思い込めば周囲を見なくなる。比喩ではなく、ピッチ上で周囲を見るという点でもバイアスがかかってしまう。自信とプライドも大事だが、独善に陥った瞬間にチームゲームのプレーヤーは進化が止まるのだ。イニエスタが言う「逆効果」である。
サッカーで最も難しいのは「簡単にプレーすること」といわれている。イニエスタはまさにシンプルな最適解を叩き出せる達人なのだが、その根本には普通であること、物事を普通に見ようとすることがあるような気がしてならない。
(文:西部謙司)
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