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Jリーグ 7年前

那須大亮が目指す完全燃焼。幾多の挫折バネに這い上がったサッカー人生【谷間の世代と呼ばれて】

シリーズ:「谷間の世代」と呼ばれて text by 元川悦子 photo by Getty Images

「僕自身のサッカー人生が谷間みたいなもの」

那須大亮
那須大亮にとってキャリアの転機になったのは2年連続Jリーグ優勝を経験した横浜F・マリノス時代だった【写真:Getty Images】

 鹿児島県南さつま市生まれの那須は、前園真聖(解説者)や城彰二(解説者)、遠藤保仁(G大阪)らを輩出した名門・鹿児島実業高校出身だ。高校3年生だった2000年正月には同期の松井大輔(横浜FC)とともに全国高校サッカー選手権準優勝を経験し、駒澤大学に進んだ。

 当時は大学生が年代別代表入りするケースは極めて稀だったが、那須はU-20日本代表の西村昭宏監督(高知ユナイテッドスーパーバイザー)に評価され、2001年ワールドユース(アルゼンチン大会、現U-20ワールドカップ)メンバーに追加招集される。出場こそなかったものの、この抜擢がキャリアの1つの転機となった。

 翌2002年、那須は大学生Jリーガーとして横浜F・マリノスに入団。1年目こそ出場機会を満足に得られなかったが、2003年に岡田武史監督(現FC今治代表)が就任するとボランチに大抜擢される。これで一気にブレイクを果たした彼は2003年の年間王者獲得に貢献。アテネ五輪の日本代表まで駆け上がるなど、凄まじい勢いで成長を遂げたのだ。

「僕はたまたま高校選抜で引っかかって、U-18代表、U-19代表になって、プロに行ってからも監督の岡田さんに大抜擢された。全てがコツコツやってきた結果なんです。同世代には寿人(佐藤=名古屋)とか阿部(勇樹=浦和)ちゃんとかユース年代からエリートだった選手もいるけど、自分は全くそうじゃなかった。僕らは『谷間の世代』って呼ばれてましたけど、僕自身のサッカー人生が谷間みたいなもの。つねづね努力を続けるしかなかったし、谷間だからこその強みがある。そういうふうに考えてやってきました」と那須は冷静に自身を客観視する。

 泥臭く這い上がっていくタフなメンタリティが醸成されたのは、20代前半に過ごした横浜FMでの経験が大きい。当時の横浜は中澤佑二、松田直樹という日本屈指のセンターバックが鉄壁の最終ラインを形成していた。岡田監督にボランチ起用されるまで、那須はセンターバックとしてこの高い壁を超えようと懸命に頑張っていたが、それは容易なことではなかったという。

「佑二さんやマツさんのずっと大きな背中を追いかけていましたけど、あんなに頼もしいセンターバックはいなかった。一緒に組ませてもらった時は本当に勉強になりましたし、ボランチになってからは後ろにいてくれるだけで大きな安心感があった。あの中でやらせてもらえたのはホントに大きな自信になった。『あの人たちに追いつき、追い越したい』っていうハングリー精神は今にもつながってます。マリノスで身近でやってた選手が凄すぎたんで、アテネ五輪代表の方で戦う時は全く動じなかったです」

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