サイドバックが人材豊富であるからこそ鹿島へ
いくつかのオファーのなかから最終的にはアントラーズを選んだ理由が、実はサイドバックの多士済々な顔ぶれにあったと安西は力を込める。
「日本代表のサイドバックが3人いるなかで、自分が吸収できるもの、盗めるものがたくさんあると思ったので。3人を上回れば自分にも代表が見えてくると思っていたので、正直、迷いといったものはまったくありませんでした。(3人は)ライバルですけど、自分が負けるとは思っていません」
3人とは昨年末のEAFF E-1サッカー選手権に臨むハリルジャパンに招集された、左サイドバックの山本脩斗と右サイドバックの西大伍。さらには日本代表でも長く活躍した内田が、ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンから7年半ぶりに復帰する、という情報も駆けめぐっていた。
安西は右サイドハーフだけでなく、ボランチやトップ下でもプレーできる。究極のユーティリティープレーヤーと言えるホープは、一番勝負したいポジションとしてサイドバックをあげる。
「両方のサイドバックで勝負したい、と思っています。サイドハーフでプレーするときは自分の飛び道具でもある、ドリブルやスピードという部分を求められていると思っています」
もともとは左右のサイドハーフを主戦場としていた。ターニングポイントが訪れたのは、ジュニアユースでの3年間を終える2010年。日本代表の左サイドバックとして一時代を築き、現役時代をすごしたヴェルディで普及育成アドバイザーを務めていた都並敏史氏からサイドバック転向を勧められた。
未知のポジションへの不安もあり、一時は高校サッカーの道へ進むことも考えた。都並氏の説得もあってユースへ昇格することを決め、コンバートを受け入れたときから、右サイドバックとしてシャルケおよび日本代表で輝きを放っていた内田が憧れの存在になった。