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Jリーグ 7年前

浦和・山田直輝を救った湘南・曹監督の“治療“。一皮むけた元日本代表MFの決意

text by 藤江直人 photo by Getty Images

転機となった娘の誕生と曹監督と真正面から対峙した時間

湘南でプレーするなかで山田は輝きを取り戻していった
湘南でプレーするなかで山田は輝きを取り戻していった【写真:Getty Images】

 ターニングポイントは2年目の8月に訪れた。2012年12月に結婚していた夫人との間に、待望の第一子となる女の子が誕生した。その瞬間に、新たな目標が生まれている。

「僕がサッカー選手だったという記憶を、娘の脳裏に焼きつけるまでは現役を続けたい。サッカー選手だった父の姿が僕の記憶にないので。どのような選手だったかも、いまでもわからないんですよ」

 最初にサッカーを教えてくれた父親の隆さんは、サンフレッチェ広島の前身・マツダSCでサイドバックや中盤としてプレー。しかし、山田が生まれた1990年にけがで引退している。動画サイトなどで探しても、いまのように映像などはいっさい残っていなかった。

 父親になった日は、あいにくのけがでスタンド観戦を強いられていた。明治安田生命J1リーグセカンドステージで、最終的に10連敗を喫するチームの5つめの試合だった。

「客観的に見ていて、みんながあまり楽しそうにサッカーをしていなかった。もっとサッカーは楽しくやらなきゃ、と思えたことも自分のなかでは転機になりましたね」

 終盤戦に入って、山田のパフォーマンスは好転していく。チームのJ2降格がすでに決まっていた最終節で、名古屋グランパスを相手に2ゴールをゲット。敗れたグランパスも、初めてJ2へ降格している。

 オフになってベルマーレからは期限付き移籍の更新を、レッズからは復帰を要請された。両チームから届いたオファーに心が揺れたが、最後は自らがプレーしたシーズンにチームを降格させた責任と、ようやく描き始めた成長曲線をベルマーレで加速させたい思いが上回った。

「正直、期限付き移籍で3年目を迎えるのが珍しいと聞いたときに、逆に僕のほうがびっくりしたんですよ。普通にありうることなのかな、と僕は思うんですけど」

 2度目の延長を決めたときの心境をこう振り返りながらも、直球をどんどん投げ込んでくる曹監督と真正面から向き合ってきた2年間を、山田はこんな言葉で表現したことがある。

「サッカーに向き合う時間が一番長かった、この先の自分の人生のなかでもすごく濃い時間だったと思える日々をすごしてきたので。この道が最良だったのかどうかはわからないですけど、僕の人生のなかでものすごく大切な時間だったといまは思えているので」

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