真正面から向き合い続けた曹監督
ベルマーレにおける最初の2年間は、そうした性格がややマイナスに働いた。小さなけがも繰り返されたなかで、なかなか試合に絡めない山田にさまざまな治療を施したと『育成主義』で綴っている。
<山田が思い描いていた理想のサッカーを海外のクラブにたとえれば、FCバルセロナかアーセナルとなるだろうか。ボールをはたきたいからここにパスを出せ、という山田の価値観に対して、何度「それは違う」と言ったことか。
ゴールを奪うことよりも自分が望むプレーが優先され、結果としてゴールが取れればいいという思考回路を、さまざまな方面からアプローチしてあらためさせた。現在のボルシア・ドルトムントやリバプールのように、ゴールへ向かう姿勢が何よりも大事なんだと。ゴールへ向かう選手がチームにとって大事なんだと>
山田を獲得してほしい、と強化部へ進言したのは曹監督だった。J2を戦っていた2014シーズン。レッズとの練習試合で大原サッカー場を訪れたときに、リハビリに取り組んでいる山田と会った。
アカデミー時代から山田を知っている指揮官は、かつての輝きが完全に失われていたその表情に少なからずショックを受けた。その年は2試合、わずか15分間の出場にとどまっていた。オフに設けられた交渉の席で、山田は思いの丈を曹監督に訴えてきた。
「自分を変えたいんです」
期限付き移籍が決まり、新体制のもとでチームが始動すると、指揮官は別の意味で驚きを受けた。ボールを触るのが誰よりも好きだったはずなのに、パスをもらおうとしない。何よりもサッカーをすること自体を怖がっていた。
重症だと思わずにはいられなかったが、だからといってあきらめることはない。曹監督は『育成主義』のなかでこう綴ってもいる。
<治療に時間はかかっても、それでも僕は絶対にあきらめなかった。山田に限らず、そのシーズンに預かったすべての選手に対して「ダメだ、こいつは」と思ったことは一度もない。ジャンルに関わらず、スポーツの指導者には「信じて、やらせて、待つ」の精神が何よりも必要だからだ。
とにかく相手を信じて、まずはやらせてみて、結果がどうであれ待ってあげること。根気がなければ、指導者など務まるはずがない>