「ある時はペレで、ある時は(通訳の)羽生」(アルディレス)
恩師・アルディレス監督が「平本はある時はペレで、ある時は(通訳の)羽生(直行=現ハリルホジッチ監督通訳)」とパフォーマンスの波の大きさを皮肉交じりに語ったことがあったというが、ストイックさとはかけ離れた生活を送っていたら、そうなるのもやむを得ないことかもしれない。
追い込み型の人間とは対極のキャリアを送りながらこれだけの実績を残せたのだから、逆に言えば、平本は底知れぬポテンシャルを秘めた選手だったと見ることもできる。
「怪物? それとも天才?」と水を向けると、本人は「そんなことないですよ。誰でもできるますよ」と笑っていたが、もしもこの選手が貪欲かつひたむきにサッカーを突き詰めていたら、どのレベルまで到達していたか分からない。
そうやって突き抜けて行く姿もぜひ見てみたかったが、あえてそれをしないのが平本一樹という選手の魅力だったのかもしれない。
「谷間の世代」と言われた81年組の異端児。
彼には、その言葉がピッタリくる。
とはいえ、そのスタンスを善しとしない人もいるのは事実。本人も「ヴェルディのサポーターは僕に対して厳しかった」と批判的なことがあったことを自覚している。
「試合中のブーイングは当たり前で、自分が下がる時には拍手されることもあった。でもお金を払って見に来てくれてるんだからブーイングする権利はあるし、こっちも厳しいことを言われなきゃいけない立場でもある。僕にとってすごく気持ちのいいサポーターだったし、他の選手より愛されてたのかもしれないなと思います」と支えてくれた多くの人々への感謝を改めて口にした。
サポートという意味では、町田でセカンドキャリアの第一歩を踏み出すきっかけを作ってくれた唐井直GMも不可欠に語れない。ヴェルディ時代から面倒を見てくれて、町田にも呼んでくれた大恩人に「頭が上がらない」と平本は言う。
「唐井さんにはトップに上げてもらった時から事あるごとに相談させてもらってるし、サッカーやってきて、選手の中には『この人みたいになりたい』って人はいなかったけど、『唐井さんみたいな人間、GMになりたい』とは思えた。
日本の中で数少ない本物のGMだと思うし、そういう人にずっと見守ってもらって、いろいろ教えてもらえたのは、ホントに僕の財産だと思ってます」と彼は爽やかな笑顔を見せた。