「サッカー以外のことを犠牲にしようとは考えられなかった」
オズワルド・アルディレス監督が率いた2005年正月には天皇杯制覇を果たし、一時的には名門復活の兆しを感じさせたが、同年のシーズンにまさかのJ1・17位。初のJ2降格が現実となってしまう。
この時、チームの中心選手になっていた平本は前述の通り、残留を選び「ヴェルディ愛」を強く押し出した。その思いを示すかのように、2006年のJ2では、ラモス監督の下、40試合出場15ゴールという目覚ましい成績を残す。1年でのJ1復帰は叶わなかったが、このシーズンが彼のキャリアハイとなった。
翌2007年のヴェルディは2位でJ1復帰を果たしたものの、平本自身はシーズン後半から横浜FCへレンタル移籍。初めて新天地へ赴く経験をした。2008年はヴェルディに戻ってJ1を戦ったが、今度は1年でJ2へと逆戻りしてしまう。
そこから名門クラブは10年間2部に甘んじている。2009年末に日テレが撤退した影響も大きく、毎年のように有力選手が流出してしまうのがその一因と言える。
そんな中、平本は2012年に町田、2013年にヴァンフォーレ甲府と2度クラブの外へ出たが、キャリアのラストをヴェルディで迎えたいという思いは人一番強かったはず。17年半という長い長い時間を緑の軍団で戦った彼は、Jリーグ413試合74ゴールという素晴らしい実績とともに、古巣に別れを告げた。
「これまで36年生きてきて、サッカーを絶対的中心に置かずに生活してきた割には長くやれたかなと思います。人生は1回なんで、友達との付き合いとかサッカー以外のことを犠牲にしようとは考えられなかったですね。
正直、自分は自主練もそんなにしなかったし、筋トレだけは趣味でやってましたけど、油ものとかカップラーメンとかお菓子とか体に悪い食べ物を平気で食べてた。野菜も嫌いで食べなかったしね。友達の結婚式へ行って朝まで飲んで昼の試合に出て点を決めたりしたこともありました(苦笑)。
ルーティンを決めずに、サッカーをエンジョイしながらやってきたから、ここまで長くできたのかなという気がします」と平本は自身の現役生活の実情を包み隠すことなく打ち明けた。