田代が直談判。クラブ首脳陣を動かした野沢への強い思い
そう思ってからの田代の行動は、かなり思い切ったものだった。
「会長とCEOに直談判です。タクさんがどれだけすごい選手かを必死に伝えて。最後には『ユウゾウが言うならば』とプレービデオなんかも確認しないで契約前提の練習参加を決めてくれた」
実は、筆者は偶然にも「野沢、豪州2部相当に移籍か」との報道が流れる1週間ほど前、ウーロンゴン・ウルヴズを現地で取材していた。その時、一時帰国中の田代とは行き違ったのだが、取材に応じてくれた現場の総責任者であるクリス・パパコスマスは「ここで話した以外にも、すごい話が近いうちに聞こえてくるから楽しみにしておくといいよ」と今思えば、かなり思わせぶりな言葉を残していた。
待ち合わせ場所からスタジアムまで向かう車中でもクリスからは「ユウゾウがいた頃の鹿島は強かったのか。どんなチームだった?」と質問攻め。その時は、ウルヴズでプレーする田代がどれだけすごい選手だったか知りたいのだろうくらいに思っていたが、それだけではなかった。
彼は「野沢拓也」の存在の大きさを筆者に逆取材を試みていたのだ。「小笠原満男、本山雅志、柳沢敦、鈴木隆行」といった鹿島の名だたるレジェンドの名前と共に、筆者は確かに「野沢拓也」の名前も出した。残念ながら、その時にクリスがどんな表情をしたかは、ハンドルを握って進行方向を直視していたので見ることができなかったが。
ブリスベンでの夜に話を戻そう。
「タクさんが、こうやってメディアの人と話しているのも、すごいことなんですよ」
田代が言うには、野沢は日本のフットボールメディアでは「なかなか話さない選手」として有名だったらしい。豪州を根城にする筆者はそんなことも知らずに、ずけずけと聞きたいことを聞いた。確かに、この日を前にリサーチしようとインターネットで過去記事を漁っても、これだけの実績を持つ選手にしては意外なくらいにメディアでの露出が少ないという印象はあった。
野沢は決して能弁ではないが、こちらが真摯に尋ねれば訥々と語ってくれる。鹿島ユース出身で鹿島と共にキャリアを高めてきた野沢は、古巣にもきちんと今回の挑戦に関しての報告をしてから海を渡ってきた。
「ここ(ウーロンゴン)に来ると決めてから、鹿島にも挨拶に行った。満さん(鈴木満強化部長)や(小笠原)満男さんも、快く送り出してくれた。やっぱりそういう人の期待に応えなきゃいけないし、この1年、精いっぱいやって結果を出して、何とかウーロンゴンの力になりたい」
そんな古巣について語る野沢の口調には熱がこもっていた。それは、今も彼の心の底にある「鹿島愛」なのだろうか。