どうやって四方田監督を納得させたのか
とはいえ、四方田の説得は簡単ではなかった。目標である残留を達成し、本人も手応えを感じていた。そんななかでの、「来季は監督ではなくコーチで」というオファーには戸惑いがあって当然と言える。
11月末に札幌とミシャが大筋で合意し、そこからクラブは3回にわたって四方田と面談を行っている。最終節12月2日の午前中に四方田から承諾の返事を得たが、すんなりと納得したわけではない。
では、どうやって四方田を説得していったのか。野々村をはじめクラブは四方田を高く評価し、重要視していた。1999年にアシスタントコーチとして札幌に来た四方田は、現在に至るまでクラブを離れたことはなく、貴重な人材だ。
「ミシャにないものを四方田は持っていると思っている。だから、そこを補えるし、その逆もある。経験のある監督の下でやれば、必ずプラスになる。そこは強く伝えた」(野々村)
野々村は札幌に残って成長するメリットを説いた。「日本でトップクラスの監督になりたくないのか」と。「優勝争いができる監督は少ない。今のままでは難しい。新しい知見をインプットしないと並の監督で終わる」と語る。
札幌に残れば、ミシャの下で新たに勉強することができる。一方、他クラブで監督になった場合、現場の結果に追われて新しい視点を身に着けていくことは容易ではない。四方田の将来を考えたオファーだったのである。
クラブは四方田に監督時代と同等以上の待遇を提示したという。当然これも四方田が「残留」した大きなファクターになっただろう。
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