「恩師と言えるのはオシムさんとミシャ」
2012年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現札幌)が就任したことも自身を力強く後押しした。「恩師と言えるのはオシムさんとミシャ」と本人も言うほど、信頼できる監督との出会いをきっかけに、30代になった彼は「浦和の男」として走り切ることができた。
ミシャ監督にタイトルをもたらすことができなかったことだけは心残りだが、現役ラストの4年間は充実した日々だったようだ。
そして引退から2年あまりの月日が経過した今、鈴木啓太は腸内フローラ解析によるアスリートのパフォーマンス向上・人の健康維持に貢献するために「AuB株式会社」を自ら立ち上げ、代表取締役として多忙な日々を送る。
アテネ五輪最終予選での集団下痢事件、あるいは自身の体調不良などコンディションの重要性を誰よりも痛感してきた彼だからこそ、こういう事業に携わろうと考えたのだ。
「今年春には研究結果を発表できそうなところまで来ていて、事業をスピードアップできる手ごたえをつかんでいます。協力していただいているアスリートのためにも、早くみんなに成果を届けたい。
それ以外にも、DAZNのアンバサダーに就任させていただいたりしていますが、僕の大きなテーマは『サッカー界、スポーツ界に貢献すること』。現場で選手を教えたり、クラブ運営に携わることとは違った形でそれを実行できる力をつけたいですね」と本人は説明する。
「谷間の世代」と言われた人々を見ると、昨年限りで石川直宏(現FC東京クラブコミュニケーター)や平本一樹(現町田スタッフ)が引退するなど、第2の人生に歩み出す者が徐々に増えている。
鈴木啓太は高松大樹(大分市会議員)らとともにピッチ外からアプローチする側に回って、理想のサッカー界を作るべく活動していくつもりだ。
「五輪予選でキャプテンだった自分がみんなをまとめていかないといけないですね」と冗談交じりに言う彼は爽やかな笑みをのぞかせた。その一挙手一投足の行方が楽しみだ。
(取材・文:元川悦子)
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