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Jリーグ 7年前

挫折の大きさが未来へのエネルギーに。鈴木啓太、燃え尽きて取り戻したサッカーへの意欲【谷間の世代と呼ばれて】

シリーズ:「谷間の世代」と呼ばれて text by 元川悦子 photo by Etsuko Motokawa, Getty Images

「谷間の世代」という呼称に「ホントに悔しい気持ちになった」

「いきなり『谷間』という見出しが新聞に出て、その言葉が独り歩きした。上を見たら伸二(小野=札幌)さん、タカ(高原直泰=沖縄SV)さんたちとんでもない山があり、下には2001年U-17世界選手権(トリニダード・トバゴ)に出た成岡(翔=相模原)や菊地(直哉=札幌)がいたから、僕らが『谷間』なんだと感じましたけど、ホントに悔しい気持ちになった。絶対にそう言わせないようにしようと思いました」と鈴木啓太は言う。

 アジア予選も苦しみの連続で、2004年3月の最終予選・UAEラウンドでは原因不明の集団下痢事件も起きた。1つ上のシドニー五輪世代は楽々とアジアを勝ち上がっていたのに、自分たちはなぜそこまで苦労するのだろう……。彼は若くして2002年日韓ワールドカップの主力に上り詰めた小野や稲本潤一(札幌)の凄さを痛感する日々だったという。

 それでも五輪切符だけは手にしなければならない。崖っぷちに立たされた日本ラウンドでキャプテンマークを巻いた鈴木啓太は、最終戦・UAE戦を前にして、仲間の心を動かす意外な行動に出た。

「UAEには絶対に勝たなければいけない状況で、彼らの強さは強さは分かっていた。そこでエキップメント担当の麻生(英雄=現日本代表スタッフ)と『何かしかけたいよね』と話していたら、みんなが好きなミスチルの歌はどうだろうと。

『終わりなき旅』の一節『高ければ高い壁の方が登った時に気持ちがいいもんな』って今の俺らの心境そのものじゃないかって。それでホワイトボードに歌詞を書いたんですよ」と彼は笑う。

 代表は新宿のヒルトンホテルに宿泊していたが、麻生氏はわざわざ自宅までCDを取りに帰り、歌詞カードを鈴木啓太に手渡すという名アシストをしている。「今もその歌詞カードだけは見当たらない」と言っているというが、インターネットがあまり普及していなかった時代らしいエピソードだ。

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