小国のアイデンティティ
毎年年末になると、アルゼンチンではアルゼンチン代表の名場面が放送される。アルゼンチン人にとってのサッカーはスポーツの域を超えていて、自分たちの心のありかを確認するものでもある。そこで、これぞアルゼンチンの心ということで放映される試合が1990年イタリアワールドカップのブラジル戦だという。
ディエゴ・マラドーナのパスからクラウディオ・カニージャがゴールし、1-0で勝った試合である。マラドーナは負傷を抱えてアシスト1本以外は消えていた。そしてブラジルには30本もシュートを打たれ、攻められ続けた。
耐えに耐え、たった1つのチャンスを生かして勝った試合だ。そしてこれこそアルゼンチンらしいサッカーであり、アルゼンチン人の心に訴えかけるものがあるのだそうだ。
アルゼンチンにとってブラジルは人口も面積も大きく、才能に溢れた選手が続々と生まれる文字どおりの大国。ブラジルが強大化する以前から老舗のサッカー強国だったとはいえ、アルゼンチンの人々は自分たちを弱い立場だと考えているらしい。
ウルグアイはもっと小さい。サッカーもアルゼンチンを濃縮したような堅守速攻に徹したスタイルである。耐えて粘ってワンチャンスに賭ける。ブラジルはウルグアイが苦手だし、大国扱いされるアルゼンチンもやりにくい。
守備に注力しているので、攻撃はどうしても「行ってこい」のFW個人技頼みになる。泥臭くていいから、いや泥臭いゴールをとれるFWこそ評価される。
カバーニが母国のダヌビオからイタリアのパレルモ、ナポリへ移籍して評価を得たのは、ウルグアイとイタリアのサッカーが似ているという背景もあると思う。どんな形でも点のとれるカバーニを万能型と書いたが、むしろどんな形でも点をとらなければならかったのだ。スマートな万能型というより泥臭い何でも屋かもしれない。
パリSGはパリの街に相応しい華麗かつ豪華なチームに変貌した。ネイマールやムバッペも来た。もともとそういう気はあったが、もうサッカークラブというよりファッション・ショーでも始めそうな勢いである。
そんな中、あくまでゴツゴツしたプレーのカバーニだけが、かつてこのクラブがパリの殺伐とした部分の吹きだまりだったころの心とつながっているように思える。
(文:西部謙司)
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