インテルでは満足な出場機会を得られず
2011年1月31日、長友佑都はアジアカップから当時所属のチェゼーナに戻ってくるや、一気に一気に移籍交渉が進み、ビッグクラブのインテルへの移籍することになった。それから7年、インテルを去る時もやはり早かった。
「ロシアW杯に向けた日本代表の招集に響くことを懸念し、長友は移籍をしたがっている」という報道がコリエレ・デロ・スポルトから出されたのが27日の朝。
そして同日に行われたルチアーノ・スパレッティ監督の記者会見では、「私には、彼が出場機会が得られるところに移るべきかどうかを検討したがっているようにも感じられる。成熟した選手なのだから、彼の意向は何なのか我われに話して伝えるべきだと思う」と踏み込んだ発言も出てきた。
そしてトルコ1部の強豪、ガラタサライへの移籍は数日も経たずに決定した。
5ヶ月間のレンタルで、パス買取りのオプションは付帯されていないが、「今後についてはシーズン終了後にクラブと再度話し合う」と、代理人ロベルト佃氏の協力エージェントであるフェデリコ・パストレッロ氏はイタリアの地元メディアに語っている。
長友はどういう背景のもとでインテルを去り、トルコのクラブを新たな戦場へと選んだのか。
まず移籍そのものは急転直下ではあるが、出場機会に恵まれていない状況は続いていた。リーグ戦での先発は、11月7日のトリノ戦を最後に1試合もない。
体格で勝るダビデ・サントンに左サイドバックのポジションを奪われ、また途中交代で呼ばれるのも2500万ユーロの移籍金を叩いて獲得されたダウベルトになっていた。ただ解せないのは、この二人も良いパフォーマンスを披露したわけでもなく、結局2人とも先発から陥ちる羽目になったということだ。