他の選手と違うキャリアを歩むことで生まれた自信
鹿島が世代交代への動きを本格化させた2013年後半、岩政は控えに甘んじることが多くなった。「鹿島は『出て行ってくれ』とは言わないチーム。自分で自分の去り際を決めないといけない」という思いがあって、そのシーズンを最後に移籍を決意。
2014年1年間はタイ・プレミアリーグのBECテロ・サーサナに新天地を見出した。タイのメッシと言われるチャナティップ・ソンクラシン(札幌)ら若い選手に刺激を受けつつ、トヨタ・リーグカップ優勝の原動力となることに成功する。
異国の環境を体感し、選手として十分やれると自信を深めた彼は2015年からj2のファジアーノ岡山へ移籍。「2年でJ1に昇格させる」というタスクを自らに課す。その言葉通り、岡山は尻上がりに調子を上げ、2016年はJ6・6位でフィニッシュ。
J1昇格プレーオフでは3位だった松本山雅を準決勝で撃破し、決勝へと駒を進めた。が、セレッソ大阪とのラストゲームは本人も「完敗だった」と潔く認めるほどの力の差を見せつけられ、J1昇格の夢はついえた。
岡山のサポーターからは「残ってほしい」と強く慰留されたが、岩政は「1つのタスクが終わった」とキッパリ区切りをつけ、2017年から関東リーグ1部(5部相当)の東京ユナイテッドFCへ移籍。そこで選手と指導者を掛け持ちしながら、メディア露出やイベント参加、講演など多彩な活動も手掛けるようになった。
同年9月には「PITCH LEVEL 例えば攻撃がうまくいかないとき改善する方法」(KKベストセラーズ)という初の自著も出版。「ライターの名刺も作ろうかな」と笑うほど、八面六臂の活躍を見せている。
「鹿島を出て、タイや岡山、東京ユナイテッドに行って、他の選手とは違った道を歩んだことで、ようやく自分に自信が生まれたのかなと思います」と本人も語気を強めるように、独創的なキャリアを構築できるのが、「谷間の世代屈指のインテリ選手」の強み。そこはもっと胸を張るべきだ。
とはいえ、もちろん本業はサッカー選手。東京ユナイテッドのJFL昇格を目指して1シーズンを戦ったが、最終的には3位でフィニッシュ。地域リーグ決勝大会には進めなかった。