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Jリーグ 7年前

田中マルクス闘莉王が京都の若手に伝える闘争心。限界までチャレンジする覚悟【谷間の世代と呼ばれて】

1979年生まれ組が「黄金世代」と称される一方で、「谷間の世代」と呼ばれていた1981年世代。ワールドユース(現U-20W杯)や五輪ではグループステージ敗退を経験したが、2010年の南アフリカW杯では決勝トーナメントに進出した日本代表チームで軸となる世代となり、今なおJクラブで主力を担う選手たちもいる。ブラジル出身で日本に帰化した田中マルクス闘莉王もこの世代の1人。2017年はFWでのプレーが中心となった闘将はJ2京都に何をもたらしているのだろうか。(取材・文:元川悦子)

シリーズ:「谷間の世代」と呼ばれて text by 元川悦子 photo by Getty Images

熟考を重ねたうえで踏み切った京都との契約更新

京都サンガの田中マルクス闘莉王
京都サンガの田中マルクス闘莉王【写真:Getty Images】

 2017年11月19日のJ2最終節。京都サンガは1万5000人超の大観衆が詰めかけた松本・アルウィンで松本山雅に挑んでいた。J1昇格プレーオフ進出の可能性を残す相手に対し、京都は本多勇喜が首尾よく1点を先制。リードしたまま試合終盤を迎えた。

 そんななか後半23分、背番号4をつける男・田中マルクス闘莉王が布部陽功監督に呼ばれ、大野耀平と交代。FWとしてピッチに立った。185cm・85kgの恵まれた体躯を誇る36歳のベテランは立っているだけで絶大な存在感を感じさせる。

 対峙する飯田真輝も彼のマークには苦慮した。「自分が入って2~3回チャンスがあった」と闘莉王本人が言うように、前がかりになる相手の裏を突き、京都は追加点を奪おうとしたが、惜しくもネットは揺らせない。

 それでも1-0のままタイムアップの瞬間を迎えることに成功。彼らは最終戦白星でJ2・12位でシーズンを終えた。

「こういう結果になってサポーターにはホントに申し訳ない。自分も含めてもっともっとタフなチームになんなきゃいけなかった。自分もいろんなケガとの戦いでやってきて、最後の何分かピッチに立てたのはよかったし、こういうタフな試合をモノにできたのは今後、若いやつらのサッカー人生においてプラスになると思います」と彼は試合後、シーズンラストマッチでの反省と収穫の両方を口にした。

 去就については「来季のことはまだ考えてない。明日のことを考えられる人間じゃないんで。とりあえず整理がついたところで考えたい」と話し、現役続行と引退の狭間で揺れ動いていることを明らかにした。

 それから1ヶ月半後の1月10日。闘莉王は熟考を重ねたうえで京都との契約更新に踏み切った。すでに母国・ブラジルから戻って新シーズンに向けて始動している。「やり出したらまたどうなるか分からない」と昨季苦しんだケガへの不安も抱えつつ、彼は限界までチャレンジしていく覚悟だという。

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