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高校サッカー育ちのAリーガー。日豪ハーフの20歳、コナー・オトゥールの人生を変えた出会い

text by 植松久隆 photo by Getty Images, Paul Smith Photography, Taka Uematsu

日系の「先輩」を追って高校サッカーに飛び込む

ジェイソン・デイビッドソン
コナーの日本行きのきっかけとなった成立学園の先輩ジェイソン・デイビッドソン。日本にルーツを持ち、2015年アジアカップ優勝にも貢献した【写真:Getty Images】

 幼い頃は、3〜4歳で始めたというラグビー・リーグ(豪州で人気の13人制ラグビー)と遅れて5歳で始めたサッカーの二刀流に打ち込んでいたコナー少年。むしろ、本人の優先順位的にはラグビーの方が上だったというあたりが、いかにもオージーらしい。

 10歳の頃、ラグビーで膝に大けがを負い、そのキャリアを断念。そこからサッカー一筋で選手として着実な成長を見せてきた。ジュニア年代は、シドニー中のクラブを移りながら確実にレベルアップ。ジュニアユースに達する頃には、シドニーのあるニューサウスウェールズ州のサッカー協会直属となる州選抜に選ばれて、U-13ではナショナルチームにも選出された。

 そんな州トップクラスの逸材がなぜ日本、しかも成立学園なのかーーそこには、ある一人の「先輩」の存在がある。ここでピンと来た人がいれば、かなりのサッカルーズ通に違いない。成立学園と豪州サッカー界の浅からぬ縁を知る人は多くないだろうが、成立学園サッカー部は、なんとサッカルー(豪州代表選手)を輩出している。

 2015年アジアカップを制した頃のサッカルーズの左サイドを駆け上がるアジア系の顔立ちの選手を覚えているだろうか。その彼こそ、日本人の祖母を持つ日系DFジェイソン・デイビッドソン。その父・アランも豪州代表で79キャップを誇り、ジェイソンとアランのデイビッドソン父子は非常に珍しい日系サッカルーズだ。同じ日系で、同じ左SBの「先輩」の存在が、オトゥールを成立学園への「移籍」へと導いたのだった。

 既に知己のあったデービッドソンから成立学園の存在を聞き知っていた当時14歳のコナー少年は、州選抜の落選というキャリア最初の挫折を味わう。そこで一旦立ち止まって「プロになる」という確固たる目標に近づく最良の選択として彼自身が導き出したのが、「先輩」と同じ道に進むことだった。

 家族の後押しを受けて、学校の休暇を利用して成立学園の門を叩いたコナー少年は、練習参加してすぐに豪州の同年代にはないスピードとテクニックのレベルの高さに度肝を抜かれた。本人は「ここでサッカーがやりたい」と即決。

 学校側も受け入れを快諾したことで、その翌年からの3年間の武者修行が決まった。その高校時代の話になると、キリっとした表情が緩み、懐かしそうに語るオトゥール。埼玉の東鷲宮の寮から北区赤羽の学校まで満員電車に45分ほど揺られて通学した経験から「満員電車は大っ嫌い」と笑うが、サッカー部での日々も含めて高校3年間の経験は総じてポジティブな思い出に彩られているようだ。

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