「水沼がいたからだと言っても過言ではない」(ユン監督)
シーズン序盤は2度におよぶけがで戦線離脱を余儀なくされながら、それでもチームのためにピッチの外でも奔走。夏場からはピッチ上で必要不可欠な存在となった水沼に、ユン監督も感謝の思いを抱いていた。天皇杯制覇後の監督会見では、こんな言葉を残している。
「この1年間、順調だったのは、水沼がいたからだと言っても過言ではない。私の考えを選手たちに上手く伝えて、サッカーのスタイルも含めて、いろいろな面で私にはできない仕事を、私からは見えないところでよくやってくれたからだ。キャプテンでも副キャプテンでもないが、このチームで何かを成し遂げないといけないという気持ちがあったからだと思う」
もっとも、たとえ監督がユン氏でなかったとしても、水沼は自分の背中を見せる行動を取っていたはずだ。マリノスから栃木、サガン、そしてFC東京と渡り歩いてきたサッカー人生で、自分なりにひとつの哲学を抱くようになった。
「上手い選手がいて走れたらそれは強いと、どのチームにいても思ってきた」
ピッチ上でちょっとでも弛緩した雰囲気、集中力を切らせた様子を察知したときには、形相を鬼のそれに変えて大声を浴びせた。大量の汗とともに水分が失われる高温多湿の夏場のある試合後には、水沼からこんな言葉を聞いたことがある。
「夏の暑い試合中に大声を出すと、本当に倒れそうになるんですよ。ちょっと気をつけないといけないんですけど、声を出すということ自体はまったく苦にならないので」
ただ、セレッソはいままで所属チームとは大きく異なった。アカデミーから一貫してテクニックを磨き、スマートな選手たちが多い一方で、水沼をして「ちゃんとやろうとなったときに、しっかりできる選手たちがそろっている」と言わしめるナニクソ魂も脈打っていた。だからこそ、一見して異質に映る水沼もスムーズに溶け込んだ。
「ある程度実績のある選手、プライドのある選手が多いなかで、自分が助けられることはあるのかと考えたときに、まず自分が体現することが一番大事かなと。みんなのように華麗なプレーや上手いプレーができるわけじゃないけれども、何かしらみんなに伝えられることは絶対にあると」