自分を必要としてくれるところはどこか
そして、父親で元日本代表MFの貴史氏に続き、Jリーグが設立された1991年11月以降では初めて親子二代にわたって天皇杯を制し、決勝戦でともにゴールを決めるなど、四半世紀の時空を超えて競演した水沼も、慎重に言葉を選びながらもセレッソへの熱い思いを残していた。
「自分が生かされるところというか、自分を必要としてくれるところを落ち着いて考えたい。でも、選手生活のなかでこうやってタイトルを取れる経験はなかなかないことなので、またみんなで喜ばれる場に行くためにも、一番いい決断をしたい」
前身の日産自動車サッカー部時代からマリノスひと筋でプレーした貴史氏とは対照的に、出場機会を求めて移籍を繰り返した。ジュニアユースから所属してきたマリノスから栃木SCへ移ったのはプロ3年目だった2010年の夏。J2の舞台で1年半の間に50試合に出場した過程で、右サイドからのクロッサーという特徴を明確にさせた。
2012シーズンに期限付き移籍し、2013シーズンから完全移籍に切り替えたJ1のサガン鳥栖では4年間で124試合に出場するなど、心技体のすべてで充実した時間をすごした。FW豊田陽平(現蔚山現代FC)とのホットラインは相手チームの脅威になり、ゲームキャプテンを任された試合もあった。
さらなるステップアップを望んで2016シーズンに移籍したFC東京で、しかし、大きな挫折を味わわされた。序盤戦からなかなか試合に絡めず、U‐17日本代表時代に指導を受けた城福浩監督(現サンフレッチェ広島監督)が解任された夏場以降は、さらに出場機会が激減した。
最終的にはわずか17試合の出場に終わり、捲土重来を期したオフに届いたのが、セレッソからの期限付き移籍のオファーだった。水沼は迷うことなく、4度目の移籍を決断する。