競技規則の理解でより建設的な議論が可能になるのではないか
その根本的な部分として小川委員長が語ったのが、「公平公正と高潔性」だ。これはいったいどのようなものなのか。
「競技規則がなぜあるのか。IFABが述べているのですが、それは競技の美しさにとって極めて重要な基盤であり、この公平、公正はサッカーという競技の精神なんだということです。
たとえばなぜハーフタイムで陣地が逆になるのか。以前Jリーグでもゴールデンゴール方式の延長戦があったじゃないですか。あれが打ち切られたのはなぜだか知っていますか?
延長戦に入って得点が決まったら終わりというのは、(同じ陣地で同じ時間プレーしていないということで)公平公正の観点からするとどうなのかということになり、最後までやりましょうということになりました」
昨今ではすでに競技規則に入っているGLT(ゴールラインテクノロジー)、現在試験運用中のVARs(ビデオアシスタントレフェリー)など、テクノロジーの導入について多くの議論がなされているが、これも「公平公正」の文脈においてなされているものなのだという。
ワールドカップやチャンピオンズリーグをはじめ、サッカーがプロスポーツ産業として高度にビジネス化したなかで、テクノロジーの導入などが叫ばれるのは自然なことかもしれない。ただし、ミスジャッジにしても、等しくそれによって不利益を被る、あるいは利益を得る可能性があるならば、それは公平と言えなくはないのではないか。
現在アトレティコ・マドリーの監督を務めているディエゴ・シメオネはこう言っている。
「審判のミスは損害だとは思う。彼らは人間だからミスをする。ただ、シーズンを通して見ればミスを被るのは全チームだ」
ミスジャッジが批判されることはしかたがない。ただし、競技規則について内容だけでなく原理的な部分も理解することによって、レフェリーの判定やサッカーそのものについて、より建設的な議論が可能になるのではないだろうか。
(取材・文:中山佑輔)
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