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東京五輪の切り札に? 北欧で奮闘する20歳の“逆輸入”DF世川楓悟の知られざるキャリア

1月10日より、いよいよ中国でU-23アジア選手権が開催される。森保ジャパン初の公式戦となる今大会は、2年後に迫った東京五輪を見据えてU-21世代のJリーガーと大学生でチームが構成されているが、将来的にそのうちの「1枠」を虎視眈々と海外から狙っている選手がいる。世川楓悟、20歳を迎えたばかりの左サイドバックだ。Jクラブを一切経由せず、中学卒業と同時に単身海外へ渡った世川は、紆余曲折を経て今年からフィンランド1部ロヴァニエミへ移籍した。もはやELやCLへの出場でさえ夢物語ではない。果たして、世川は東京五輪の切り札となるのか? その知られざるキャリアに迫った。(取材・文:カルロス矢吹、取材協力:Finland Kitchen Talo)

text by カルロス矢吹 photo by Getty Images

中学卒業後に欧州へ。築き上げた異色のキャリア

世川楓悟
今年からフィンランド1部のロヴァニエミでプレーする20歳の日本人DF世川楓悟【写真:カルロス矢吹】

 世川楓悟は、音楽一家の出である。両親は共にドイツのオーケストラに所属し、祖父母も音楽家。世川自身も、物心がついた頃からバイオリンとピアノを学び、小学校の時には『情熱大陸のテーマ』を弾きこなしていたという。そんな環境で、世川は音楽と並行して小学校入学と同時にサッカーを始めた。そして、同時期に海外でのプレーも経験している。これが彼のキャリアを形成する上で大きなベースになったそうだ。

「僕が住んでいた市川市がドイツのローゼンハイムと姉妹都市で、定期的にサッカーの交流戦をやっていたんです。小学生の市選抜に選ばれてドイツに行ったら、僕らの方が上手かった。試合も勝ったんですけど、ドイツ人のサッカーへの姿勢が日本人と違っていて。

僕らは空いた時間はゲームをやったりダラダラしていたんですけど、ドイツ人達は時間が空いたらすぐに外に出てボールを蹴って、それも凄い楽しそうにやっていたんです。施設も確かに凄かったんですけど、今でもあれはハッキリと覚えていますね。『こういう環境でサッカーがしたい』そう思うようになりました」

 両親からの助言もあり、中学時代は地元市川のクラブで研鑽を重ね、同時に語学を磨いて海外渡航への準備を進めた。そして卒業後、イギリスの帝京ロンドン学園サッカーコースへ進学。周到に準備をしていた世川だったが、それでも当初はイギリスでの公式戦に戸惑いの連続だったそうだ。

「僕が帝京ロンドン学園に入学した頃はサッカー部がすごく強くて、日本人だけのチームで州大会を制覇していました。1年生の頃から試合には出してもらっていて、最初は中盤をやっていたんですけど、ドリブルで抜いたと思っても予想外のところから足が伸びてきてボールを取られちゃうんです。サイドバックに移ったのもその頃ですね。自分の武器であるスタミナとスピードを欧州で活かすにはこのポジションだなと思って。

それからは帝京ロンドン学園でもサイドバックでプレーするようになりました。学校が提携している、イギリスのナショナルトレーニングセンター内にあるサッカーアカデミーに通えたこともプラスになりました。そこで現地の同世代の選手達と全部英語でトレーニングを受けていたんですが、彼らの中にはもうレスターとかストーク、プレミアリーグやチャンピオンシップ(イングランド2部)のクラブと契約している選手もいます。彼らとは今も連絡を取っていますね」

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