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天皇杯で躍進、いわきFCを作った2人の男。投資価値が見出されたクラブのあり方【いわきFCの果てなき夢】

シリーズ:いわきFCの果てなき夢 text by 藤江直人 photo by Editorial Staff

「ベルマーレの株主になってよ」

 スポーツという大きなフィールドのなかで、別々の道を歩んでいた2人の運命の糸が再び交わったのは2014年。きっかけは意外にも新幹線だった。ベルマーレのゼネラルマネージャーをへて、その年の4月に取締役社長に就任していた大倉のインタビュー記事が、新幹線のグリーン車で無料配布される総合情報誌『Wedge』にちょうど掲載されていた。

「もともとドームはテーピング用品の輸入販売からスタートして、Jクラブにも営業にきていたので、アンダーアーマーを含めて僕自身はドームの存在は知っていました。安田のほうが新幹線で偶然にも『Wedge』を見て、僕のことを思い出したという感じですね」

 早稲田大学出身のドームの社員を介してコンタクトが取られ、マイアミ以来となる再会を果たしたのが2014年の秋。大倉にとって大学のひとつ先輩で、日立製作所時代でもともにプレーした盟友・曹貴裁(チョウ・キジェ)監督のもと、勝ち点101を獲得する異次元の強さでベルマーレがJ2を制し、翌シーズンからのJ1昇格を決めていたときだった。大倉が続ける。

「彼らはドームとして物を売ってますが、物を売ることだけに止まらず、スポーツを通じて社会を豊かにするという理念を置き、社会価値を創造したいと望んでいます」

 久しぶりに顔を合わせたこともあり、いろいろな話を交わしているなかで、大倉が意を決したように切り出した。「じゃあベルマーレの株主になってよ」と。

「もしくは株式の51%を取得してお金を入れてもらって、湘南エリアに新しいスタジアムを作って一緒にやっていこう、と安田には言いました。ちょうどベルマーレも筆頭株主を探していたので」

 話し合いは合意には至らなかった。それでも、スポーツという枠を飛び越えたさまざまな意見を交わし合いながら、大倉と安田は絆を深めていった。

 たとえば、東日本大震災からの復興支援。大地震が発生してから1週間後に、安田はあらん限りの支援物資を積んで被災地へ向かい、ガソリンが半分になったところでたどり着いたのがいわき市の小名浜だった。そうした縁に導かれるように、以来、ドームはいわき市を拠点に復興を支援してきた。

 おりしも地域の雇用創出と活性化を目的として、いわき市内に巨大な物流センター「ドームいわきベース(DIB)」を建設中だった。安田に誘われるかたちで、大倉はいわき市へ足を運んだことある。

「物流センターがまだ半分もできあがっていなかったのかな。それでも驚くほど大きかったし、周辺の土地も全部買ったという話から始まって、このセンターで数百人を雇うことで地域経済を復興させるどころか、新たに創生するんだと」

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