アメリカの地で出会った二人
福島県いわき市を拠点に、日本サッカー界で異彩を放つチャレンジを加速させているいわきFCの大倉智代表取締役。いわきFCの親会社で、アメリカのスポーツ用品メーカー、アンダーアーマーの日本総代理店を務める株式会社ドーム(本社・東京都江東区)の安田秀一代表取締役CEO。ともに1969年に生まれ、48歳の年男でもある2人は、大学4年生のときにアメリカの地で出会っている。
卒業後の1992シーズンから日立製作所(現柏レイソル)でプレーすることが決まっていた大倉は、早稲田大学ア式蹴球部の卒業旅行でフロリダ州マイアミを訪れていた。そして、3年次に法政大学体育会アメリカンフットボール部、そして4年次には学生日本代表でもキャプテンを務め、同じく卒業旅行を楽しんでいた安田から声をかけられた。
「安田はものすごく特異な人間というか、記憶力がものすごいんですよ」
いま現在へと至る原点となる当時のやり取りを、大倉が苦笑いしながら振り返る。
安田は僕のことを以前から間接的に知っていたわけですよ。僕に限らず、たとえば活躍した水泳選手の顔などもすべて覚えていた。彼に言わせれば『当時のお前はスター選手だったし、とっつきにくかった』みたいな話になるんですけどね」
社員選手として日立製作所本社サッカー部(現柏レイソル)に加入した大倉は、1995シーズンからのJリーグ昇格に伴ってプロへ転向。ジュビロ磐田、ジャパンフットボールリーグのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)を経て、1998年にアメリカのジャクソンビル・サイクロンズへ移籍。その年の9月に現役を引退した。
アメリカに渡ったときから、将来はスポーツマネジメントやスポーツビジネスの世界に進むことを視野に入れていた。引退後に向かったのはスペインのバルセロナ。ヨハン・クライフ国際大学でスポーツビジネスを学び、2001年8月からセレッソ大阪のチーム統括ディレクター、2005年からは湘南ベルマーレの強化部長に就任した。
一方の安田は卒業後に就職した三菱商事を1996年に退社。法政二高時代からの盟友で、卒業旅行でともにマイアミを訪れていた今手義明(現専務取締役兼執行役員CSO)とドームを設立して代表取締役に就いた。アンダーアーマーの日本総代理店となったのは、2年後の1998年だった。