「おカネよりもクラブ愛」というのはきれい事
レイソルで現役を引退したのは05年、ちょうどJ2降格が決まったシーズンだった。まだ続けられたと思うけど、15年間トップリーグでやってきた自負みたいなものがあったので、このまま終わろうかなと。その時はまだ33歳で、J2であれば相手に抜かれることはないという自信はあった。
ただ自分の中で、ある種の「美学」みたいなものがあったんだよね(苦笑)。実は某J2クラブからもオファーをもらっていたの。ただし、提示された年俸がレイソルの半分以下で「だったら辞めようか」というのもあったね。
やっぱりプロである以上、「いくらもらえるか」ってすごく大事。たとえばもし、フリューゲルスは存続するけど「給料は半分以下」って言われたら、オレの中ではクエスチョンマークだね。
なぜなら選手の価値って、お金だと思うから。給料が半分以下ということは、それまで積み上げてきた評価が一気に半減するわけでしょ? もちろんフリューゲルスというチームに対して、オレはものすごく愛着はある。でも、それとこれとはまったく別の話。「おカネよりもクラブ愛」というのは、きれい事じゃないかなって思うね。
オレにとってのフリューゲルス? そうねえ、まず「プロとしての第一歩」だよね。プロはいかにあるべきか、というものを教えてくれたクラブだったのは間違いない。
オレは身体能力があって1対1には強かったけれど、センスもなかったしパスも下手だった。だからこそ、人並み以上に頭を使って努力をして、何とか自分のポジションを守り続けることができたんだよね。
酸いも甘いも含めて、プロの原点となったのがフリューゲルス。それと、結婚して家族を持ったのも横浜だったから、感謝もしています。でもまさか、チームが潰れるという経験までするとは思わなかった。
だからこそ、フリューゲルスのことは忘れないでいてほしい。それは全日空の人も佐藤工業の人も、もちろんJリーグも含めて。たぶん親会社は、「赤字が出ている子会社をひとつ潰した」って感覚だったと思う。
クラブチームが消滅する重大さを、軽く考えていたんじゃないかな。でも軽く考えていたのは、当時のJリーグも同じだったと思う。その後ろめたさみたいなものがあったからこそ、フリューゲルスのあとに潰れたクラブはないでしょ?
カップ戦で優勝するくらい強いチームが、親会社の都合で消滅してしまった。それがどれだけ大変なことだったか──当時を知らない若い人たちにも知ってほしいよね。
(取材・文:宇都宮徹壱)
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