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Jリーグ 7年前

横浜F、最後の天皇杯決勝で出場停止。薩川了洋が直面したクラブ消滅【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

代表経験がないなかJ1で300試合以上出場を達成

 名波はセンスの塊で、日本代表で10番付けたときは「やっぱりね」と思ったよ。オレはそんなにパスも上手くないしセンスもない。だからこの世界で生き残っていくんだったら、相手との駆け引きとか、どこで罠を張るとか、そういうところも考えながらプレーしなければならなかった。

 代表経験もないオレがJ1で300試合を達成できたのも、高校時代にレベルが高い人たちが身近にいたのが大きかったと思う。

 卒業後、名波と大岩は大学に行ったけど、オレは親に負担をかけたくなかったから大学はあまり考えなかった。最初はトヨタを考えたんだけど、当時は(JSL)2部と1部を行ったり来たりするようなチームだったんだよね。

 そしたら清商の大滝(雅良)先生から「行くんだったらトップリーグを目指しなさい」って、勧められて入ったのが全日空で91年。同期は5人いて、大卒のヤマ(山口素弘)さんや大嶽(直人)さんと一緒だった。ただし社員ではなくてプロ契約。もうすぐJリーグが始まるということで、各チームとも戦力補強に余念がなかった。

 オレは高卒でプロになったけど、大学に行った人たちに差をつけてやろうと最初から思っていたね。つまり4年後、彼らがこっちの世界に来るまでの間、オレがどれだけ稼いでいるかってことだよね。

 あの当時、「一流企業で生涯年収が3億円」みたいな話がよく週刊誌とかに載っていたけど、サッカー選手でいる間にそれだけ稼がなかったら、たぶん「成功した」とは言えないって思っていた。

 そのためにはどうするか。できるだけ早く、レギュラーになるしかないよね。ユース年代の代表に選ばれた大岩とか名波とかより先回りして、プロの世界でもまれて成長してないと、オレは下のままで終わってしまう。そういうプレッシャーはあったね。

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