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日本代表 7年前

運命を変えた磐田移籍。2人の元日本代表10番と共闘。川又堅碁、サッカー人生賭け韓国戦へ

text by 元川悦子 photo by Getty Images

ロシアの大舞台は4年越しの大きな夢

 2008年に新潟でプロキャリアをスタートさせた川又は雑草魂を地で行くようなキャリアを送ってきた選手だ。プロ4年目の2012年にJ2のファジアーノ岡山へレンタル移籍。そこで18ゴールを挙げ、一躍脚光を浴びた。翌2013年は新潟に復帰しJ1で23ゴールをマーク。Jリーグベストイレブンに初選出され、翌2014年4月には国内組だけで行われたアルベルト・ザッケローニ監督体制最後の選考合宿も呼ばれた。

 短期間での飛躍的な成長ぶりに2014年ブラジルワールドカップ最終メンバー入りも囁かれたが、ケガと体調不良が重なり落選。それでも本人は愛媛県西条市立東予東中学校時代の恩師・柴田喜清先生に電話し「次、ロシアですよ、ロシア」と明るく宣言したという。川又にとってロシアの大舞台は4年越しの大きな夢なのである。

 とはいえ、その後の4年間も決して順風満帆な道のりを過ごしたわけではなかった。最初にぶつかった壁は2014年夏の移籍騒動。欧州移籍か残留かで揺れ動く川又は新潟でベンチからも外れるようになり、最終的に名古屋グランパスへの国内移籍という新たな選択肢を採ることになる。

 名古屋では移籍2年目の2015年こそ9ゴールをマークし、ハリルホジッチ監督率いる日本代表デビューも果たしたが、2015年の東アジア選手権(現E-1)で精彩を欠いたことで、そのまま日の丸をつける舞台から遠ざかってしまう。

 名古屋自体の成績も2015年9位、2016年は16位と振るわず、ノヴァコビッチやシモビッチら外国人助っ人頼みの戦い方にシフトしたこともあって、川又はベンチを温めることが増えていく。「名古屋ではトゥー(田中マルクス闘莉王=京都)さんたちにいろいろ教わった」と本人が言うように、決してマイナスばかりではなかったが、ロシアという目標に近づくどころか、遠く離れた印象の方が強かった。

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