取材対象としてのフリューゲルスは「ナンバーワン」ではない
実はフリューゲルスに関しては、書籍化の話もあったんですよ。99年の3月だか4月に話をもらって、とある版元さんから「ぜひ出しましょう」と。じゃあ、という感じで書き溜めていていたら、ほぼ脱稿というタイミングで中止になったんです。
ちょうど同時期、横浜FCの代表だった辻野(臣保)さんが小学館から横浜FCの本を出すことになって、「ウチは弱小なので、そんな大手から同じような本を出したら勝ち目がないです」っていうのが理由でした。
あの時はショックでしたね。その後も、幾つか版元になってくれそうなところに持っていったんですけど、タイミングの問題もあって形にはなりませんでした。
最初にも言いましたけど、私は100人くらいの人たちにインタビューして、皆さんウソ偽りなく本音を語ってくれました。その方々には、今でも本当に心から感謝していますし、貴重な体験をさせていただいたと思っています。だからこそ、書籍という形にできなかったことについては、心から申し訳なく思っています。
今のようにSNSがあれば、もう少し違っていたかもしれない。それでも、さまざまな関係者の本音を聞いてしまった取材者として、その責任を果たせなかったのは、私の実力不足以外の何ものでもなかったと思っています。