私は最初から「横浜FCは別のクラブ」と見ていました
両チームのサポーターの表情も、すごく対照的でした。フリエサポは、優勝してもちろん喜んでいるんだけど、目が笑ってないというか輝きがない。何だか死んだような目をしている人が多かったですね。だからこそ「葬式の日にドンチャン騒ぎ」なんですよ。
それに対して清水サポは、ものすごく冷静でした。負けて悔しい思いもありながら、優勝したフリューゲルスに拍手を送っていましたし。清水サポって成熟した人が多いんだなって、その時は思いましたね。前の年(97年)に彼らも経営危機に直面して、それを乗り越えているじゃないですか。そういったことも背景にあったかもしれない。
SPA!に私の原稿が載ったのは、その年(99年)1月の最後の週でした。もう専門誌ですら、フリューゲルスの記事が載らなくなっていた頃です。SPA!の編集部とは「追いかけるだけ追いかけて、その後にレポートとして出しましょう」という話だったんですけど、結局は次の年の元日まで引っ張ることになったので、記事になるのが遅かったんです。
あと週刊誌って、どうしても一定以上の期間がかかるんですよ。特に週刊誌メディアの場合、全般的にOA化が遅れていて、当時は誌面のレイアウトを鉛筆で切ってFAXで送っていましたから。それもあって、3週間もかかってしまったわけです。
あの99年の元日は、ひとつの物語のフィナーレみたいに語られているけど、私はそんな感じではなかったですね。というのも、サポーターの「その後」が気になっていたので、継続して横浜FCの立ち上げのほうも取材していましたから。
もっとも、私は最初から「横浜FCは別のクラブ」と見ていましたけどね。新しいクラブができて1年目の(JFL)優勝も、2年目のスタートも見届けています。
でもその後、元フリューゲルスのサポーターと横浜FCができてからのサポーターとの間で、揉め事がひんぱんに起こるようになって……。私自身も別の仕事が忙しくなっていたこともあり、次第に遠ざかるようになってしまいましたね。