どこのサポーターにとっても、決して「対岸の火事」ではなかった
それで到着したのが、夜の8時とか9時とかですよ。それなのに結構な数の人が集まっていましたね。40~50人はいたと思います。フリューゲルスのサポーターだけじゃなくて、(浦和)レッズとか(鹿島)アントラーズのレプリカを着た人もいました。関東周辺のクラブのサポも、他人事とは思えなかったんでしょうね。
その時はSPA!の名前は出さなかったし、あまり大っぴらに「取材に来ました」とは言わなかったんですが、なんとなくその場にいる人の話を聞いていました。そのうち少しずつ人が集まってきて、誰とはなしに思いの丈をばーっと話し始めるんですよね。
あの時、あそこにいた人たちは、何かをぶちまけたくて仕方がなかった。でも、誰に話していいかわからなくて集まってきていたのかなって、そう思いました。あの頃、どこのサポーターにとっても、決して「対岸の火事」ではなかったんでしょうね。
他の取材者ですか? カメラはいなかったように思いますが、新聞社の人たちは何人かいましたね。そのうち新聞の最終(締め切り)の時間になって、その人たちは帰っていったと思うんですけど、サポーターは終電のあとも半分くらいその場に残っていて、私も朝まで付き合いましたよ(苦笑)。
その頃の横国の周辺って、今と違ってものすごく寂しくて、ラブホ街とかあったじゃないですか。そんなところをひとりで歩くのも嫌だったし、女の子もけっこう残っていたから、その場のノリで残ることにしました。
すごく寒い日だったんですけど、たまたまコンビニで使い捨てカイロをいくつも買っていたので、何人かと分け合いましたね。ただ、朝までいろいろ話を聞いていたけれど、そんなに収穫があったわけではないです。事務所の説明会に出席していた人たちも合流して、クラブ側とはまったく平行線で話にならない、みたいなことを聞いた記憶があります。
結局、前向きな話なんてまったくなくて、「オレのフリューゲルスの思い出」みたいな話を延々と聞かされていた感じでした。「これじゃあ、とても記事にはならないな」と(苦笑)。
それでも「このあと、この人たちはどうなっていくんだろう」と考えているうちに、「どこまでできるかわからないけれど、自分で納得できるところまでフリューゲルスを追いかけてみよう」って、その時に思いましたね。
<後編につづく。文中敬称略>
(取材・文:宇都宮徹壱)
【了】