日本代表では31試合中29試合が途中出場だった
大きな転機が訪れたのは2005年。新天地・広島に赴いた時だ。当時の指揮官・小野剛監督(FC今治育成ディレクター)は2001年ワールドユースの日本代表コーチ。佐藤寿人ら「谷間の世代」と言われた彼らに強い思い入れがあり、「この選手たちを何とかしなければいけない」と口癖のように言っていた。
「カズ、浩司を筆頭に、2005年は同期が7人いた。ほとんどの選手と年代別代表でプレーしたことがあって、すんなりチームに入れました。特に大きかったのが、カズ、浩司、コマ(駒野友一=福岡)の3人。彼らの支えがあったから、広島では移籍1年目から活躍できたと思います。
小野さんの後のミシャ(ペトロヴィッチ監督)、森保(一)さんも大きな信頼を寄せてくれてくれたし、アオ(青山敏弘)や洋次郎(高萩=FC東京)、陽介(柏木=浦和)といった優れたパッサーも成長してきた。
僕自身、若い選手を引っ張り上げないといけないという意識が強かったので、彼らにはかなり要求しました。自分がコンスタントに得点できたのも、こうした選手たちのお膳立てのおかげ。深く感謝しています」と佐藤寿人は神妙な面持ちで言う。
広島で数字を残したことで、日本代表にも呼ばれるようなった。初キャップはジーコ監督時代の2006年2月のアメリカ戦(サンフランシスコ)。長谷部誠(フランクフルト)と一緒に代表デビューを飾ったのだ。
「ジーコさんの時はホントにストライカーとして評価してくれたんで、一番やりがいがあったというか。『点を取ればいい』と思い切って行けましたね。
(イビチャ・)オシムさん、岡田(武史=FC今治代表)、ザック(アルベルト・ザッケローニ監督)の時も呼ばれましたけど、オシムさんと岡田さんの時は頭で整理しなくちゃいけないことが多かったし、まだ若くて、ゴールを取りたい気持ちと与えられた役割のバランスが難しかった。特に岡田さんの時はサイドハーフとか、3トップのサイドで起用されて、消化しきれない自分がいましたね。
この前、気づいたことがあったんです。ナラさんが『Aマッチ最多途中出場選手は誰でしょう』って聞くから、『ああ、俺だ』と(笑)。29試合が途中出場っていうのはダントツ1位。先発は2試合しかないんで。でもジョーカーっていうのもサッカーにおいてはすごい大事。これから拓磨(浅野=シュツットガルト)もそういう強みを出せるんじゃないかな。FWはやっぱゴールが全てだから」と佐藤寿人は誇らしげに笑った。