「野望」や「失望」を経て、J1昇格という「希望」へ
出身地のクラブをJ1に昇格させた感想を問われ、「それはチームを離れたときにわかること」と答えた冒頭の言葉のあと、高木監督は一呼吸置いてそう言葉を続けた。
確かにプロとして気持ちはそうだろう。監督としてチームを預かる身とすれば、なおさら出自にとらわれるようなことがあってはならない。だが、クラブに対する思い入れは別だったのではないか。
J2第41節のホーム讃岐戦、ベンチにはメンバー入りできなかった全選手のユニフォームが飾られ、ロッカーでは歴代のユニフォームとして、クラブの前身である「有明SC」のユニフォームが並べられていた。
クラブ創設の頃、監督自らオフの日に長崎までサッカー教室へ来たこともある、地域リーグの公式戦でベンチ入りするために、台風が接近する中にもかかわらず九州までやってきたこともある。そういった記憶や、今はクラブにいなくなった信頼し、共に戦ってきたスタッフや選手への気持ちは、どこかに持っていたはずだ。
高木監督はそれを容易に表に出すような人ではない。だが、言葉の最後にこう呟いた。
「正直に言うと……ホッとした感じはありますよ、責任は果たせたかなと(笑)。やっぱり、そこは他とは比べられない部分があるのかもしれません。でも……長崎で監督をやっている間は、本当のところは分からないと思いますよ」
それが分かるのは、いつになるのかは誰にもわからない。Jリーグ参入直前に「5年でJ1」とクラブが発信した「無謀」な目標から5年。「野望」や「失望」を経て、長崎はJ1昇格という「希望」へと辿りついた。
そして今、「希望」の先へと向かおうとしている。先に待つものが何であろうと、それもまたクラブの歴史であり、関わった全ての人に残る記憶だ。そして、それこそがクラブと人を結びつける大切なもの「絆」となるのだろう。
(取材・文:藤原裕久【長崎】)
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