爆発した10年分の喜び。試合後はバックスタンド方向へ
誰もが必死になってキャプテンを探した。苦しみ抜いた末にアル・ヒラル(サウジアラビア)を振り切り、アジアの頂点に立った直後の歓喜の光景。埼玉スタジアムのピッチのいたるところで、浦和レッズの選手たちが笑顔を輝かせたなかで、DF阿部勇樹の姿だけが見当たらない。
初めてアジアを制した10年前にも主審を務めた、ウズベキスタン人のラフシャン・イルマトフ氏が試合終了を告げるホイッスルを埼玉の寒空に響かせる。その瞬間に両手を天へ突きあげ、10年分の喜びを爆発させた36歳はピッチの中央ではなく、バックスタンド方向へ近づいていった。
狂喜乱舞するファンやサポーターと万感の思いを分かち合い、右手で作ったガッツポーズを何度も繰り出している。そこにいたのかと言わんばかりに、ようやく阿部の姿を見つけたDF宇賀神友弥やMF青木拓矢、MF梅崎司らが次々とタッチライン際まで駆け寄ってきた。
一人ひとりと力強く抱き合った阿部の瞳は潤んでいた。何度も何度も目頭をぬぐっても、込みあげてくるものがあったのか。涙の意味を問われた試合後の取材エリア。ピッチを離れれば驚くほど寡黙で、究極のシャイだと自負する男からは、ある意味で予想通りの言葉が返ってきた。
「わからないです」
このときも照れ笑いを浮かべていた。もっとも、表彰台の真ん中で、キャプテンとして優勝トロフィーを真っ先に掲げたときの心境を聞けば、涙腺が決壊しかけた理由が伝わってくる。
「やっぱり嬉しかったですよ。スタンドでみんなが喜んでいる顔が見えるから。選手たちの笑顔もそうですけど、真っ赤なサポーターの笑顔を見るのが一番心に響くので」
おそらくは優勝が決まった直後に、自身が託されていた右センターバックの位置から、最も近いスタンドの近くに行きたい思いに駆られたのだろう。チームメイトたちよりも、真っ先にスタンドをチームカラーで染めてくれたファンやサポーターの顔が見たかった。
いまも親しみを込めて選手たちから「ミシャ」と呼ばれる、ミハイロ・ペトロヴィッチ前監督がレッズを率いることが決まった2012年1月。当時イングランド2部のレスター・シティーへ契約の解除を自ら申し出て、約1年半ぶりに古巣レッズへ復帰した。
「ミシャと一緒にサッカーをやりたいという思いで、イギリスから帰ってきた」
復帰した理由を後にこう語っている阿部は、ペトロヴィッチ前監督からキャプテンに指名され、2011シーズンにJ2降格に危機に直面していたレッズの再建へ向けて走り出した。そのときから幾度となく「成し遂げる」というキーワードを口にしてきた。