浮き沈みの激しいサッカー人生
2010年南アフリカワールドカップラウンド16・パラグアイ戦の惜敗は、今も重要な歴史の1ページとして日本サッカー界に深く刻まれている。あれから7年の月日が経過し、駒野は「帰国してしばらく休んでいた時はどうしても引きずってしまったけど、磐田の練習に復帰し仲間とボールを蹴ってる時に楽しさを感じて、徐々に切り替えることができました」と改めて当時を述懐してくれた。
このエピソードに象徴されるように、駒野は浮き沈みの激しいサッカー人生を送ってきた。和歌山県海南市からサンフレッチェ広島ユースへ進み、18歳でトップに昇格。プロ2年目の2001年からコンスタントに試合に出始め、同年6月のワールドユース(アルゼンチン)にも参戦。左ウイングバックとして奮闘する。
右の石川直宏(FC東京)、左の駒野というのは間違いなく日本の大きな強みだった。けれども彼らは持てる力を出し切れずにグループリーグで惨敗。これをきっかけに、81年生まれの世代は「谷間の世代」と揶揄されるようになってしまった。
「確かに結果としてワールドユースで負けて、そう言われましたけど、僕自身は別に気にしていなかったですね」と駒野は気丈に語ったが、なぜか彼には「谷間の世代の代表格」というイメージが長くつきまとった。
2004年アテネ五輪でグループリーグ敗退した時、2006年ドイツワールドカップ初戦・オーストラリア戦(カイザースラウテルン)でジョン・アロイージ(現ブリスベン・ロアー監督)にドリブル突破されて3点目を奪われた時、2007年に広島がJ2降格を強いられて磐田に移籍した時、南アのパラグアイ戦……。駒野は「悲運のサイドバック」という見方をされることが多かったのではないか。