レアル・マドリーでは実績十分。招集外の理由は?
2013年頃だったか、ベンゼマが代表戦でゴールをあげられず、15試合も無得点が続いた時期があったが、このときもデシャン監督はひたすらベンゼマをかばい、「得点がなかったとしてもチームに有益なものを与えてくれる選手」とサポートし続けた。
そのデシャン監督が、毎年レアル・マドリーで2桁得点を挙げ、チャンピオンズリーグ優勝を3度経験と、スポーツ的にも十分代表入りの資格がある彼を呼ばないのだから、別の理由がある、あるいはそのために何か圧力をかけられている、という疑いが浮上するのは当然だ。
別の理由とは、政治家たちが強調するところの、『セックステープ事件』や、その前にはフランク・リベリーも関与していた未成年のコールガールと関係を持ったというスキャンダルなど、「青少年の見本になるべき一国の代表としてふさわしくないイメージ」があること、そして彼の家系がアルジェリア出身であり、移民の子孫である、という人種的なことだ。
だが、フランスサッカーの栄光の歴史は移民なしには語れない。
フランスが3位になった1958年のW杯で活躍し、その年のバロンドールも受賞したレイモン・コパはポーランド系、1984年のユーロに優勝したときの黄金メンバーも、ミシェル・プラティニはイタリア、ルイス・フェルナンデスはスペイン、ジャン・ティガナはアフリカのマリと、主力選手の多くが移民の子孫だった。
1998年のW杯優勝メンバーなどは移民系以外の選手を挙げたほうが早いくらいだろう。国民的ヒーロー、ジネディーヌ・ジダンの家族の故郷は、アルジェリアのベンゼマ家とは20キロほどのご近所にある。
過去の話だけではない。何ヶ月か前に国立養成所のクレールフォンテーヌに見学に行ったとき、そのとき練習していた20人ほどの研修生の中で、移民系でない子は1人しかいなかった。未来のフランスサッカーを支えていくのも、移民系の選手たちなのだ。