1958年のサッカー界は…
当時のイタリア代表にはウルグアイ生まれのフアン・アルベルト・スキアフィーノがいた【写真:Getty Images】
1958年生まれの主なサッカー関係者
長澤和明(2月4日)
石崎信弘(3月14日)
金田喜稔(3月29日)
山本昌邦(4月4日)
川勝良一(4月5日)
佐々木則夫(5月24日)
木村和司(7月19日)
原博実(10月19日)
ハビエル・アギーレ(12月1日)
1958年、サッカー界では悲劇的な事故が起きた。2月6日、ドイツ・ミュンヘンのリーム空港でマンチェスター・ユナイテッドの選手やスタッフらを乗せたチャーター機が、離陸時に墜落して乗員乗客44人のうち23人が死亡した。そのうち選手は8人含まれていた。これがのちに「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれるようになる事故である。
同年夏に開催されたスウェーデンW杯では、ブラジルが初優勝を飾る。日本代表は東京で開催されたアジア競技大会に出場するが、香港、フィリピンと同居したグループステージで2連敗を喫し、決勝トーナメントに進むことすらできなかった。
当時すでに2度のW杯優勝を経験していたイタリア代表は1月に北アイルランドに敗れてスウェーデンW杯予選敗退が決定。キャプテンはフィオレンティーナのレジェンドMFアルマンド・セガートで、チームの主力にはウルグアイ出身で同国代表歴を持ち、ミラン時代にチェーザレ・マルディーニやグンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムらとともにスクデット獲得の経験があるフアン・アルベルト・スキアフィーノがいた。
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