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Jリーグ 7年前

鹿島V字回復のキーマン三竿健斗。常勝軍団の心臓部託された21歳ボランチの献身

text by 藤江直人 photo by Getty Images

ヴェルディ時代、中後を通じて触れていた“鹿島イズム”

東京ヴェルディのアカデミーで育ち、プロデビューを果たした
東京ヴェルディのアカデミーで育ち、プロデビューを果たした【写真:Getty Images】

 小学生年代のジュニアから所属した東京ヴェルディの下部組織時代から、テクニックをあわせもつ大型ボランチとして注目されてきた。高校を卒業した2015シーズンには、ユースからトップチームに昇格。ルーキーながらJ2でいきなり39試合に出場した軌跡が、アントラーズの目に留まった。

 完全移籍で常勝軍団に加入した昨シーズン。J1の舞台では4試合、わずか30分間の出場に終わったものの、ファーストステージ制覇やJリーグチャンピオンシップ優勝、FIFAクラブワールドカップでの快進撃、そして天皇杯との二冠獲得を間近で見届けた。

「タイトルを取り続けているベテランの選手たちやスタッフが大勢いるので、その意味ではすごく安心感があります。選手の一人ひとりもすごく高い向上心をもっていて、試合で出た課題を次の練習でこう改善していこうとか、みんながそう思っているので」

 アントラーズのボランチに定着してから、ヴェルディでのルーキー時代をダブらせることがあるという。2015シーズンにボランチのコンビを組んだ中後雅喜は、駒沢大学から2005シーズンに加入したアントラーズで、ジェフユナイテッド千葉へ移籍するまでの4年間で69試合に出場している。

 2012シーズンからはヴェルディに活躍の場を求めた、今年5月には35歳になったベテランのプレースタイルには、アントラーズのいわゆる“イズム”が凝縮されていたと三竿は振り返る。

「サイドチェンジのパスを多く出していたし、球際でもすごく戦っていたところも、僕にとってすごくいい経験になりました。チュウさん(中後)も(小笠原)満男さんのことをすごく尊敬していたし、その意味でもこっちに来たときに『そういえば鹿島らしかったな』と思えたので」

 中後を介するかたちで、無意識のうちにアントラーズのサッカーに触れていたことで、出場機会が増えた今シーズンの戦いにおいてスムーズに順応することができたのか。原点となったヴェルディ時代にもらった、中後からのアドバイスをいまでもよく思い出すという。

「いろいろと考えるよりも、自分にできることを精いっぱいやれといつも言われていたので。僕の場合は、まず守備で頑張れと言われているんだと思っていました」

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