ミシャ監督時代は重用されずも…つらぬいていたポリシー
上海上港戦では司令塔オスカル、中盤に下がってきたときのFWフッキの元ブラジル代表コンビ、ウズベキスタン代表MFオディル・アフメドフらをケアするために、守備に重心を置いた。
翻って出場4試合目でJ1初先発を勝ち取ったガンバ戦は、より攻撃に比重を置いた。だからこそ、アシストを決める直前のプレーを含めて、何度かあったボールロストが長澤を満足させない。
「もちろん守備を疎かにするわけではないし、今日もハードにアタックしようと心がけていましたけど、そこから攻撃に切り替わったときにどんどん自分のよさを出そうと思っていました。しっかりと映像を見直して、また改善していきたい」
J2のジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍し、武者修行した昨シーズンをへてレッズに復帰した今シーズン。選手間のヒエラルキーを重んじるミハイロ・ペトロヴィッチ前監督のもとで、なかなかJ1の舞台における出場機会を得られなかった。
デビューを果たしたのはペトロヴィッチ監督が解任され、コーチから昇格宇した堀孝史監督体制に変わった後だった。「それでも天皇杯やACLでプレーしていたので」とJ1初先発にも特に緊張はしなかったという長澤は、レッズでの日々でひとつのポリシーを貫いてきたと明かす。
「サッカーは僕の仕事ですし、人生そのものというか、人生を懸けるものなので。試合に出る、出ないに関係なくいい準備をしてやるしかない、とずっと思っていました。ケルンから戻ってくるときに取っていただいた恩義もあるし、試合に出ていない選手が常にいい準備をすることが、出ていない選手なりのチームの貢献の仕方だと思ってきたので」
システムが前任者の代名詞だった「可変型」から「4‐1‐4‐1」に、スタイルがポゼッション型からハリルジャパンに近い堅守速攻型に切り替えられた。変貌を遂げつつあるレッズのなかで、長澤が体現する“3つのない”はいぶし銀の輝きを放ち、アジア王者を目指すレッズで必要不可欠な存在になりつつある。
(取材・文:藤江直人)
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