約1年3ヶ月の空白期間。過酷なリハビリを後押ししてくれたもの
ダブルボランチの一角で臨んだ2002年のワールドカップ日韓共催大会。ベルギー代表とのグループリーグ初戦で、一時は逆転に成功するシュートを決めて、日本中を熱狂させてからちょうど14年後の昨年6月4日に、まさかの悪夢に見舞われた。
札幌ドームで行われたジェフユナイテッド千葉との明治安田生命J2リーグ第16節に先発するも、前半17分に右ひざを負傷して退場を余儀なくされる。精密検査の結果、右ひざの前十字じん帯断裂で全治8ヶ月と告げられた。
残りのシーズンを棒に振り、5シーズンぶりのJ1昇格の喜びもピッチで共有できなかった分だけ、今シーズンにかけていた。開幕に照準を合わせ、実戦練習に部分合流していた1月下旬の沖縄キャンプでは、こんな言葉を残してもいる。
「個人的には楽しみたいと思っていますし、その分、チームに勝利をもたらすようなプレーや、影響力を与えるプレーを、J1やJ2は関係なしにピッチの上で表現できたらと思っています」
しかし、好事魔多し。開幕直前に再び右ひざが悲鳴をあげる。外側半月板および軟骨の損傷。3月7日に札幌市内の病院で緊急手術を受け、全治5ヶ月と診断された。
2年続けて右ひざに負った大けが。心が折れることはなかったのか。稲本は「さすがに2度目のほうが厳しかったですけどね」と苦笑いしながら、約1年3ヶ月の空白期間を乗り越えて、ピッチへ帰還するまでの軌跡をこう振り返った。
「やってしまったものはしょうがないと、しっかり切り替えるようにしました。休んでいた期間は無駄ではないと、僕自身は思っているので。この間に精神的にも肉体的にもより強くなってきたし、それをピッチで証明したいと思ってきました」
過酷なリハビリを後押ししてくれたものがある。札幌ドームにおける1試合の平均入場者数は1万7186人を数え、前回にJ1を戦った2012シーズンより約5000人も増えていた。スタンドで観戦しながら、自分がピッチに立ったときの光景を思い浮かべては武者震いを覚えた。
「ホームであれだけのお客さんがいる前で、試合ができる幸せというか。あのピッチに再び立ちたいという気持ちは、やっぱり一番強かったですね」