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Jリーグ 7年前

いまでも「責任を感じている」金崎夢生との一件。前鹿島監督・石井正忠の回想録【インタビュー】

text by 藤江直人 photo by Editorial Staff, Getty Images

監督就任から2年後に訪れたデジャブのような状況

 本田裕一郎監督(現流通経済大学柏高校監督)のスパルタ指導で、身心ともに鍛えられた千葉・市原緑高校から順天堂大学に進んだ時点で、将来は指導者になりたい、と思い描くようになった。

 2007シーズンから前人未踏のリーグ3連覇を達成した、オズワルド・オリヴェイラ監督のさい配やチーム作りに触発される形で、「Jクラブの監督になりたい」という思いが芽生えるようにもなった。

 チャンスは青天の霹靂という形で訪れた。敵地で松本山雅FCに0‐2で敗れた、明治安田生命J1リーグ・セカンドステージ第3節から一夜明けた2015年7月20日。スタッフルームで松本戦を振り返る映像の編集作業をしていた石井氏は、強化部から呼び出される。

「満さん(鈴木満常務取締役強化部長)から『セレーゾが解任になる。次の監督を決めるに当たって、石井にオファーを出したい』と言われて。ほんの数分の後に返事をしたというか。すぐに練習もあったので、もう即答しました」

 大役を引き受けるとともに、ある覚悟も固めた。監督を担う以上は、結果を出し続けなければいつかは契約を解除される。迎えた今年5月31日。まるでデジャブのように、2年前と同じ状況が訪れた。

 広州恒大(中国)にカシマサッカースタジアムで2‐1と勝利しながら、アウェイゴールの差でAFCチャンピオンズリーグ(ACL)準々決勝進出を逃した悔しさをJ1への糧に変えようと、石井氏はスタッフルームで広州戦を振り返る映像を編集していた。

 この時点でJ1では7勝5敗の6位。5つの黒星はすべてホームで喫したものだったが、首位のガンバ大阪との勝ち点差は4ポイントだった。まだまだ巻き返せると信じて、ミーティングの資料を作成していたときに強化部に呼び出され、解任を告げられた。

「2年前と同じような状況だったので、もしかすると、というのはありました。ただ、自分のような経験をした監督は、なかなかいないと思うんですよ。もっとできた、という思いはどの監督も抱くと思いますけど、それでも私の場合は『悔いはない』という思いに近いんじゃないかと」

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