試行錯誤の末、たどり着いた独自のキャプテン像
30歳を迎えるシーズンへ、小林自身も「憲剛さんの次は、年齢的にも自分かな」と考えていた。だからこそ大役の拝命を意気に感じた。けがに泣かされるシーズンが多かったストライカーが、ここまで全29試合に出場しているのも、新たな責任感が加わった証と言っていい。
しかし、序盤戦は思考回路が支障をきたすことが多かった。鬼木監督が上乗せさせようとした「攻守の切り替えの速さ」と「球際における激しさ」が先行しすぎて、本来のパスをつないで「相手を握り潰す」サッカーが影を潜め、4月までの9試合は3勝4分け2敗と勝ち切れない状況が続いた。
先発フル出場を続けていた小林は最前線で、フォワードとキャプテンのはざまで揺れていた。
「キャプテンだからもっと守備をしなきゃ、もっと周りに気を使わなきゃ、ということばかりを考えてばかりいて、なかなか自分のゴール数を伸ばせず、チームも勝てない状況が続いていた。そのときに何かの取材で『キャプテンとは』という質問があったんですよ」
たまたま受けたインタビュー取材が、図らずもターニングポイントになったと笑う。
「パスが出て来ないときは切れなきゃいけないこともあるし、正直、フォワードがキャプテンをやるのは難しいという話をしたときに、その方から『もっと自分が、自分がというキャプテンのフォワードがいてもいいんじゃないですか』と言われて。すごく単純ですけど、そこから考え方を変えました。
自分はフォワードだから、と割り切れた感じでやれたときからゴールもどんどん取れるようになってきた。キャプテンだから、という考えが先に来るのではなく、フォワードとして点を取って、チームを勝たせることが、いまの僕のキャプテンとしての仕事だとしっかり整理されているので」
全幅の信頼をとともにキャプテンの座を託した中村は、以来、後方支援に徹してきた。移動する新幹線や飛行機では隣の席に座ることが多く、幾度となく話もしてきた。それでも「あまり自分のキャプテン像を押しつけてもしょうがない」と、初めての大役を担う小林を静かに見守ってきた。
「悠は悠、僕は僕なので。いろいろ考えてきことが、いまの悠につながっている。自分がキャプテンだとは、半分くらいは思っていないんじゃないかな。悠が点を取ってみんなが続く。それでいいと思うけど、最初から『自分は点を取れればいいや』というキャプテンだったら、誰もついてこない。
だってそうでしょう。おそらく『お前、キャプテンなのに』ってなるから。けど、キャプテンとしても、フォワードとしても、エースとしてもやらなきゃという苦しみを、僕たちは傍で見ていたので。いまは悠が気張らなくてもチームとしていい流れができているし、僕もそのためにいるわけだから」