ケーヒル、豪州史上最高への階段を上る
何はさておき、己の不明を恥じ懺悔するところから始めたい。ティム・ケーヒルのことだ。最近、鳴りを潜めていた彼に対し「スーパーサブ起用を続けるべき」「ケーヒル依存症の克服が代表の発展に繋がる」などと、ともすれば「ケーヒル懐疑論」と取られかねない内容を書いてきた。
もちろん、それらは彼の存在がまだまだ代表には必要だと理解したうえでの筆者なりの提言だった。それでいて、11日のロシアW杯味予選プレーオフ第2戦の先発メンバーを見て「ケーヒル先発の奇策」とも書くなど、試合前までの私が「ケーヒル懐疑論」者だったことは否定しない。だが、今回ばかりは素直に非を認め、宗旨替えに応じなければなるまい。孔子の謂うところの「過ちては則ち改むるに憚る勿れ」の精神だ。
ケーヒルは、やはり凄かった。これまでの鬱憤をこの日のために蓄積して、敢えてこの夜に一気に爆発させたのかと思いたくなるくらいの独壇場。試合後のアンジ・ポスタコグルー監督は「ティミー(ケーヒルの愛称)は、最も偉大なサッカルーだ」と褒めちぎった。
それもそうだ。代表103試合で50得点という得点率の高さは他の追随を許さない。今回の印象的な活躍で、少なくとも代表レベルではハリー・キューウェルやマーク・ビドゥカを抜いて、最も偉大なサッカルーの称号を得たと言っても異論は出まい。
己をこの期に及んでまだ弁護しようという気はないが、実際、ロシアW杯アジア最終予選でのケーヒルは精彩を欠いていた。10試合中7試合出場でわずか1得点。その1点ですら1年以上前の話だ。フル出場はなく、先発すら1試合のみで、その他はいずれも試合後半でのスーパーサブとしての起用だった。
この結果だけ見れば、「さすがのケーヒルも衰えてきたな」と感じる人がいてもおかしくない。もちろん、筆者はそれだけで判断したわけではない。初めての母国のプロリーグでのプレーとなった昨季のAリーグ、メルボルン・シティでのケーヒルは正直、期待外れだった。21試合11得点と一定以上の仕事はしているが、インパクトを欠いたのも事実だ。最近のケーヒルからは90分を通して相手チームの脅威となるような怖さを感じられなくなっていた。