「きっと誰かが助けてくれると僕は信じていた」
(10月29日の)練習の前に、選手とスタッフが会議室に集められて社長(山田恒彦)から合併に関する説明があった。ぜんぜん納得できない人、「(合併阻止のために)戦おう!」と言う人、いろいろいたね。
実は僕自身、この時はあまり落ち込んではいなかった。確かにシリアスな話ではあったけれど、スポンサーが撤退する話はドイツでもある話だし、それでもクラブは残っていくはずだと思っていたから。
クラブって、その地域や市民の共有財産であり文化でしょ? スポンサーが撤退するにしても、別の企業だったり自治体だったり、必ずとこかが救済に名乗りを上げてくれる。フリューゲルスも、きっと誰かが助けてくれると僕は信じていた。
もちろん、クラブ側も多少の痛みを覚悟する必要がある。予算を半分にしましょうとか、山口や淳宏やサンパイオを売りましょうとか、来季からはユースの選手を中心に編成を考えましょうとか。ドイツにはバイエルンのようなビッグクラブがあれば、うんと小さな予算規模で頑張っているクラブもたくさんある。
でもあの頃のJリーグは、どのクラブもだいたい同じくらいの予算規模でやっていたよね。だから佐藤工業が抜けて、全日空だけになったら無理だ、という話になってしまった。「予算を抑える形でクラブを存続させよう」という発想がなかったよね。
(三ツ沢での最後の試合で「誰でもいい、助けてくれ」と叫んだことは)今でも覚えているよ。どこかで何とかなると思っていたし、選手も署名活動を一生懸命やっていたからね。でも、結局は誰も助けてくれなかった。
いや本当は、救済しようという企業もあったんじゃないかな。僕が知らないところで、いろいろなやりとりはあったと思う。でも、どこかでブロックされたんだろうね。
僕は今でも、合併せずにフリューゲルスは存続できたと考えている。いくらでもやりようはあったのに、それを断念させる「何か」が働いたんだと思う。