「クサビ」は知っていたけど「ガッペイ」は知らなかった
僕は6人の監督の下で働いてきて、それぞれメソッドやフィロソフィーは違っていた。僕自身は、そんなにやり方を変える必要はなかったけれど、いろんな監督の影響は受けていたと思う。
加茂さんは当時の日本人監督の中では最も実績があって、独特のパーソナリティがある人。オタシリオはブラジル人だったけれど、厳格なディシプリンを求める人。タイプはまったく違うけど、指導者として勉強させてもらったよ。
特にチャーリーは、バルセロナでクライフと仕事をした人だったから、いろいろな刺激をもらったね。ただ、バルセロナのメソッドを当時のフリューゲルスに伝えるのには、ちょっと急ぎすぎたと思う。
山口(素弘)も(三浦)淳宏もサンパイオもいたから、もう少し時間をかければ素晴らしいサッカーを披露することができただろうね。そこがとても残念。結局、チャーリーはシーズン途中の(98年)10月に解任されることになって、ヘッドコーチだった僕が監督に昇格することになった。
チームのことも良くわかっていたし、サテライトで教えた選手たちもトップで活躍していたから、僕が最も適任者だったんだろうね。まさにその直後だよ、フリューゲルスと(横浜)マリノスとの合併が発表されたのは。
あの日(10月29日)のことは、よく覚えている。練習場に向かう車の中でラジオを聞いていたら、ニュースでフリューゲルスとマリノスのことを伝えていたんだよね。
試合の話題でないことはわかったけど、「ガッペイ(合併)」という言葉の意味を当時の僕は知らなかった。「クサビ」は知っていたけど(苦笑)。
ただ、何となくシリアスなニュースであることは感じたよ。東戸塚の練習場に到着したら、たくさんの報道陣が僕のことを待っていた。そこで初めて、事態の深刻さを思い知ることになったね。
<後編につづく。文中敬称略>
【了】