ドイツ人指導者には理解できなかった「合併」という現実
1999年に消滅した横浜フリューゲルスについて、さまざまな「当事者」たちの言葉を集めて再現する当連載。第5回となる今回は、当時監督としてチームを率いていたドイツ人のゲルト・エンゲルスのインタビューをお届けすることにしたい。
エンゲルスは今回、7月17日に行われた元浦和レッズの鈴木啓太引退試合のために来日していた。もっとも、自身が運営するスクール『サッカーライフ』の仕事で、定期的に日本に訪れては各地を飛び回っているようだ。
エンゲルスといえば「日本語が堪能なドイツ人指導者」というパブリック・イメージがある。浦和レッズではホルガー・オジェックの後任として、京都パープルサンガでは加茂周の後任として、いずれもコーチから監督に昇格。
実はフリューゲルスでも、シーズン途中で解任されたカルロス・レシャックの後任として昇格人事を経験している。エンゲルスにとっては、これが初めての監督就任。その直後、クラブが合併で消滅することなど夢にも思わなかったはずだ。
フリューゲルスが存在した8年間の中で、トップチームを率いた指導者は全部で6人。初めて監督業を経験することになったエンゲルスは、図らずもフリューゲルスの「最後の監督」として、99年元日の天皇杯優勝と共にサッカーファンの間で記憶されることとなった。
だが、今回あらためて当人に話を聞くと、優勝の喜びよりも、クラブ消滅への受け入れ難い想いのほうが、より強かったような印象を受ける。
日本語に堪能で、日本のサッカー事情にも知悉していたドイツ人指揮官は、しかしながら企業の論理による「クラブ合併」という現実が、どうにも理解できなかった。
地域と市民の共有財産としてクラブが存在する、フットボール大国のドイツ。さながら企業の持ち物であるかのような「球団」というフレーズがまかり通っていた、当時の日本。エンゲルスの受け入れ難い想いは、どうやらそのあたりのギャップに起因していたように思えてならない。