「海外にも行こうとしたけど、気づくのが遅かった」
さらに、13年のコンフェデレーションズカップ(ブラジル)を境に代表から遠ざかる。大迫勇也(ケルン)、柿谷曜一朗(C大阪)という2人の若手FWに押し出される形で、2014年ブラジルワールドカップも落選。日の当たる舞台には立てなかった。
「ザックさんの代表の時はそれまでとは一番気持ちが違ってたかな。『もう最後』みたいなイメージだったから。それまでは正直、代表にそこまで執着してなかった。ちょっとケガで痛かったりしたら辞退したりとか、貪欲じゃなかったかなって感覚があります。南アも大きかったかもしれない。僕らの世代がいっぱい入っていたしね。
でも、気づくのが遅いっすけどね。海外にも行こうとしたけど、やっぱりそれも気づくのが遅かった。今、ダイ(松井大輔=オドラオポーレ)が36歳にして欧州に再チャレンジしてますけど、すごいうらやましいなって気持ちはあります。ダイらしいっちゃ、ダイらしいってのはありますけどね」と前田はあと一歩で夢舞台をつかめそうだったザックジャパン時代を振り返る。
確かに4年前まで彼は輝いていた。2014年ブラジルワールドカップアジア最終予選では全試合に先発出場。2012年6月のオマーン戦、ヨルダン戦、9月のイラク戦といずれも埼玉スタジアムのゲームで得点を奪っている。
とりわけイラク戦は、右サイドバックでスタメン出場した駒野友一(福岡)のスローインを岡崎慎司(レスター)が受け、その折り返しを前田が決めるという「81年組コンビ」(駒野も1981年生まれ)が演出した1点だった。
「あの時が僕らのピークだった? そうかもしれないですよね。確かに30歳前後で。あの後、自分が外されたのは悔しかったけど、チームで結果が出てなかったですし、呼ばれた人は結果を出してたし、しょうがないかなと。それが実力なんだなと感じたし、巡りあわせもありますよね。
あの頃、一緒に攻撃陣を担っていた圭佑(本田=パチューカ)とかオカとか真司(香川=ドルトムント)は今でもやってるからすごいと思います。自分自身ももちろん代表に戻りたい思いはあるけど、やっぱりチームで結果を出さないといけないと感じます」と前田は神妙な面持ちで語っていた。