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Jリーグ 7年前

今季限りで現役引退の石川直宏、同世代の選手たちへの感謝「切磋琢磨することができた」【「谷間の世代」と呼ばれて】

シリーズ:「谷間の世代」と呼ばれて text by 元川悦子 photo by Getty Images

負傷に悩まされたプロ生活。W杯本大会メンバー入りは果たせず

2010年南アW杯は予備登録メンバーへの選出にとどまった
2010年南アW杯は予備登録メンバーへの選出にとどまった【写真:Getty Images】

 思えば、彼のサッカー人生は紆余曲折の連続だった。FC東京でスピードスターとして名を馳せた彼は、ジーコ監督時代の2003年に同世代の選手たちのなかでいち早く日本代表に選ばれた。2004年アテネ五輪ではラストのガーナ戦のみの出場にとどまったが、FC東京の初タイトル獲得の原動力となるなど、目覚ましい成長を続けた。

 2005年夏にはセリエAへの移籍話も浮上。「環境を変えたらどうなるのかなと思い始め、海外移籍も視野に入れ始めたが、まだ自信がなかったから最終的に断った」と本人が述懐する通り、もう少し経験を積んでからの挑戦を考えていたが、その矢先の古巣・横浜FM戦で右ひざ前十字じん帯損傷および右ひざ外側半月板損傷の重傷を負ってしまう。最も勢いに乗っていた時期の長期離脱は石川に重くのしかかった。

 その後、足踏み状態が続いたが、2008年頃から再びキレと迫力を取り戻し、2009年のクラブ2度目のタイトル獲得にも貢献。岡田武史監督(現FC今治)率いる日本代表にも再抜擢され、2010年南アフリカワールドカップ有力候補とも目されるようになった。が、フタを開けてみると、23人からは落選。小笠原満男(鹿島)らとともに予備登録メンバー7人に名を連ねることになってしまう。

 2010年代に入ってからはクラブのJ2降格、腰椎椎間板ヘルニア発症、若手の台頭による出場機会減なども味わうことになる。そして2年前の左ひざ負傷である。誰よりも責任感の強い石川には「東京らしさを表現するのは自分だ」という強い自負があり、辛く苦しいリハビリにも耐え続けたが、その努力は思うように結果に結びつかなかった。

「若い頃はA代表に定着して、ワールドカップに出て、Jリーグでも優勝してシャーレを掲げ、海外にチャレンジする……といった理想を思い描いていたけど、決断した以上は後悔はないです。『起こること、全て善きこと』という言葉を長澤徹(岡山監督)さんがよく言っていたけど、自分も1つ1つの運命を受け止めるしかない。自然体の生き方しかできないのが石川直宏という人間なんです」と彼は爽やかな笑みを浮かべた。

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