セティエン、ベルナベウで“博士号”を取得する
このマドリー戦前の4試合、ベティスの成績は2勝(ホーム)2敗(アウェイ)。まだ9月すら終わっていない段階で、ベティスにはセティエンの刻印がしっかりと刻まれている。
ベルナベウでも第1節のカンプ・ノウでの戦いのように自分たちのプレーに固執し、なおかつ選手たちはあの頃よりも自分たちがすべきことを把握していた。
無論、レアル・マドリー相手であればボールを保持する機会は激減する。しかし勝とうが負けようが引き分けようが、セティエンのチームが自分たちらしくあろうとすることは変わらない。変わらないのだ。この試合では終了まで30分を切ったところで最終ラインを引き上げ、疲労困憊のライバルに襲いかかるための賢明さ、規律、勢いを有していた。
セティエンのチームがいかなるものかを、誰もが目撃したはずである。ロングボールは極力使わず後方から攻撃を組み立て、できる限りの人数を相手陣内に配置して、ボールを失った際には前線から積極的にプレッシングを仕掛ける。
各ラインはできるだけ狭められ、常に複数の選手がボールの近くに存在していた。ベティスの選手の誰もが、自分の責任から逃れることがない。ボールを保持して攻めるときも、死に物狂いで守るときにも。
白いチームによる支配が最大限のものとなったとき、セティエンはDFの数を増やそうとはしなかった。そうではなく、攻撃の選手をピッチに立たせたのである。チェスを趣味とし、スペイン以外の51ヶ国でチェス・オリンピアードに出場できる実力を有した人物が披露した、テクニカルエリアからの勇敢な指手。万事うまくいった。
(文:エンリケ・オルテゴ【スペイン/マルカ】、翻訳・構成:江間慎一郎)
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