2011年アジアカップ優勝チームがベースに
岡田武史監督(現FC今治)体制で挑んだ2010年南アフリカワールドカップで中立地初のベスト16入りを果たした日本代表。
その後を引き継いだアルベルト・ザッケローニ監督はその主力である遠藤保仁(G大阪)、長谷部誠(フランクフルト)、川島永嗣(メス)、本田圭佑(パチューカ)、長友佑都(インテル)ら遺産を生かした陣容に吉田麻也(サウサンプトン)、今野泰幸(G大阪)らを加えたチーム編成で2011年アジアカップ(カタール)制覇を達成。
香川真司(ドルトムント)の左サイド起用は本人も不完全燃焼ではあったが、そこで構築された確固たるベースを生かして、2014年ブラジルワールドカップアジア予選を戦った。
シード国の日本は2006年ドイツ、2010年南ア同様、3次予選から参戦。このステージから北朝鮮、ウズベキスタン、タジキスタンという厳しいグループを戦わざるを得なくなった。上位2位以内が最終予選(4次予選)に進むとはいえ、北朝鮮は2010年南アワールドカップ出場国。ウズベキスタンも手強い。
案の定、2011年9月の初戦・北朝鮮戦から大苦戦を強いられ、後半ロスタイムに長谷部とのショートコーナーから清武弘嗣(C大阪)が挙げた右クロスを吉田がヘッドで叩き込み、1点を手に入れるという薄氷の勝利からスタートした。
3次予選はこの後、アウェイ・ウズベキスタン戦(タシケント)でドロー、タジキスタン戦(大阪&ドゥシャンベ)で2連勝し、早々と2位以内が決まった。その後の北朝鮮戦(平壌)とウズベキスタン戦(豊田)で2連敗というのはいただけなかったが、最終予選進出決定後ということでザッケローニ監督解任論も起きなかった。
しかもこの時期はエースに君臨していた本田が右ひざ負傷で長期離脱を強いられ、長谷部や中村憲剛(川崎)、香川を入れ代わり立ち代わりトップ下でトライしていた時期。明確な解決策が見つからないまま、日本は3次予選2位通過となってしまった。