中村憲剛と香川をベンチ外。勝負に出た豪州戦だったが…
敵将は日本を熟知している大宮アルディージャ・京都サンガ元監督のピム・ファーベク。それだけに、試合前の情報合戦は凄まじいものがあった。当時の日本代表は練習公開が基本だったが、情報漏れを防ぐため、岡田監督が直前4日間、完全非公開のカーテンを敷いた。加えて、取材対応選手を制限。ざっくばらんに話をしてしまう中村を報道陣の前にほとんど出さないという入念な策も講じた。
これには批判の声も高まったが、指揮官は頑として譲らない。この時点で二度目のドイツ挑戦に踏み切っていた大久保嘉人(FC東京)を控えに回し、中村憲剛と香川をベンチ外というサプライズも見せる中、勝利だけを追求した。
張り詰めたムードの一戦は日本優位で進んだが、相手の堅守を攻略しきれない。結果的に相手の勝ち点1狙いのサッカーの術中にはまり、0-0で終わったが、犬飼会長も「今日の結果は先につながる」と前向き発言をしたことで、岡田支持の色合いがより一層、強まった。
続く3月のバーレーン戦を中村俊輔の一撃によって1-0で勝利した日本は早くも南ア行きに王手。6月のウズベキスタン戦に勝利すれば4大会連続W杯が決まるというところまで来た。
タシケントでのゲームは、岡田監督にとっては自身が代表監督に就任した97年以来だったが、その時を知る選手は誰1人いない。劣悪な環境ゆえに報道陣で体調を崩す人間が続出。前日まで元気そうにしていた内田も急きょ体調不良を訴えてダウンするアクシデントも発生した。試合前から一筋縄では行きそうもない様相を呈していたのだ。
大一番のスタメンはGK楢崎、DF(右から)駒野友一(福岡)、闘莉王、中澤、長友、ボランチ・遠藤、長谷部、トップ下・中村憲剛、FWは右から中村、大久保、岡崎という4-2-3-1。直前のキリンカップ2連戦(チリ・ベルギー)で合計3ゴールを挙げ、絶好調だった岡崎が重要な局面でスタメンの座を射止めた。
やはりFWは好調な人間を使うというのが勝利の鉄則かもしれない。案の定、大仕事をしたのは背番号9をつける22歳の侍だった。開始9分、長谷部からパスを受けた中村憲剛が前線へ巧みなフィードを送る。
この瞬間、相手守備陣の背後を抜け出した岡崎が左足でシュート。これはGKにいったん阻まれたが、再び倒れこみながらヘッドでゴールを決め、喉から手が出るほどほしかった1点を早い時間帯にもぎ取ったのだ。